中国のトップ女優・ファンビンビンが主演のドラマ・武則天-The Empress-。
日本でも繰り返し放送されるほど、世界的に大人気の中国ドラマですが、物部天守という日本人が登場します。
物部天守とはどのような人物なのでしょうか。
中国ドラマ・武則天に登場する物部天守は実在するのか、物部氏とはどのような一族なのか、そして、物部氏と関わりの深い崇仏論争について紹介します。
中国ドラマ・武則天に登場する物部天守は実在する?
物部天守という名前を聞いたことはありますか?
いや、物部守屋なら聞いたことがあるけど…
天守閣ですか?
物部天守は武則天-The Empress-の第13話で、東瀛一の棋士として登場します。
つまり、ドラマ中では、中国の東に位置する日本を指します。東瀛なんて、初めて聞いたという方も多くいらっしゃると思いますが、なんと、現在でも、日本を東瀛と呼ぶ中国人がいるそうです。
ちなみに、雅称とは風雅な呼び方を指します。
東瀛一の棋士である物部天守と宗室の会話なので、雅称である東瀛が用いられたのではないかと考えると、よくできたドラマだなと思いますね。
ドラマでは、物部天守は太宗、武才人(後の武則天)、徐婕妤(後の徐賢妃)、楊淑妃と一緒に、宴を楽しんでいます。
物部天守が唐にやってきた年に触れられていませんが、以下のように推測することが可能です。
① 太宗は626年に即位し、649年に退位していることから、626年から649年の間
② 武才人は637年に後宮入りしていることから、637年から649年の間
また、太宗の第1皇子・李承乾は、後に皇太子の座を廃されますが、物部天守が唐にやってきた時は在位中。
③ 李承乾は643年に廃されているため、637年から643年の間
では、637年から643年までの7年の間に、日本から遣唐使は派遣されたのでしょうか。
第1回遣唐使は630年に日本を出発し、631年に太宗に謁見して、632年に帰国しています。
物部天守が遣唐使の一員だったとしても、物部天守が唐を訪れたのは、武才人が後宮入りする前となります。
第2回遣唐使は653年に日本を出発し、654年に帰国しています。
637年から643年までの7年の間に、遣唐使が派遣された記録がないんです。
つまり、物部天守はドラマ上の架空の人物であり、実在しないと考えるのが妥当ではないでしょうか。
あくまで個人の見解です。
物部氏ってどんな一族?崇仏論争とは?
中国ドラマでも取り上げられる物部氏とは、どのような一族なのでしょうか。
物部氏ってどんな一族?
物部氏とは、大和国山辺郡、河内国渋川郡を本拠地としていた豪族です。
鉄器や兵器の製造、管理を任されていて、大伴家持などで有名な大伴氏とならぶ有力軍事氏族になりました。
崇仏論争とは?
物部氏は代々大臣(おおおみ)を務めていた蘇我氏と対立します。
対立のきっかけは、第29代天皇・欽明天皇が在位していた538年に、百済の聖明王から贈られた仏像です。
当時の日本は、氏神様を祀る神道が主流でした。
ところが、百済から仏像と経典が贈られ、仏教が日本に伝わると、蘇我稲目は仏教を推進しようとしました。
蘇我氏は渡来人と仲が良く、国外の文化を積極的に取り入れたい考えでした。
仏教を推進したい蘇我氏に対し、物部尾興は神道を守るべきだと主張し、排仏(神道)派である物部氏、崇仏(仏教)派である蘇我氏が対立し始めました。
神道を守るべきか、仏教を推進するべきかと悩んだ欽明天皇は、蘇我稲目に仏像を預けました。
蘇我稲目は早速仏像を祀りました。
すると、疫病が流行り、物部尾興の子ども・物部守屋は「疫病が流行している原因は、百済から贈られた仏像にある」として、仏像を海に投げ込んだり、仏塔を破壊したりしました。
仏像と疫病は関係ないと思いますが、バッドタイミングです。
欽明天皇が崩御し、572年、欽明天皇の子ども・敏達天皇が即位しました。
敏達天皇は物部氏に同じく排仏派でしたが、物部尾興の肩を持ちながらも、蘇我氏を排除しませんでした。
585年に敏達天皇が、587年に敏達天皇の弟・用明天皇が相次いで崩御し、7月、物部守屋と蘇我馬子はそれぞれ天皇候補を絞って対立しました。
物部守屋は敏達天皇の弟・穴穂部皇子を、蘇我馬子は敏達天皇の妻・額田部皇女(後の推古天皇)を立てました。
もはや、神道と仏教の枠を超えています。
物部守屋が優勢でしたが、なんと、物部守屋は戦死。
トップを失った排仏派は混乱に陥って、敗北しました。
蘇我馬子が立てた天皇候補・額田部皇女は即位せず、崇峻天皇が即位し、物部氏は滅亡しました。
この対立を崇仏論争といいます。
崇峻天皇が崩御した後、額田部皇女、つまり、推古天皇が即位しました。
587年に物部氏が滅亡したとすると、仮に物部天守が実在したとしても、太宗が在位した626年から649年の間に、太宗に謁見するのは不可能です。
やっぱり、物部天守は実在しなかったと考えるのが妥当かなと思います。
まとめ
中国ドラマ・武則天-The Empress-に登場する物部天守は実在するのか、物部氏とはどのような一族なのか、そして、物部氏と関わりの深い崇仏論争について紹介しました。
物部天守は武則天の第13話で、東瀛一の棋士として登場しますが、太宗の在位期間や遣唐使の派遣年から、物部天守はドラマ上の架空の人物であり、実在しないと考えるのが妥当かなと思います。
物部氏は大和国、河内国を本拠地としていた豪族ですが、神道と仏教を巡り、蘇我氏と対立。物部氏のトップ・物部守屋が戦死し、物部氏は滅亡しました。
余談ですが、武則天-TheEmpress-で、物部天守を演じたのは松島庄汰さんという日本人俳優です。
中国ドラマで日本人役に日本人を起用するなんて嬉しいですね。
武則天-The Empress-のDVDが販売されています。
女優も映像も綺麗で、目の保養になります。
是非、ご覧ください。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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