エレキテルを復元した平賀源内ってどんな人?死因、田沼意次との関係

本草学、儒学、漢学、油絵とさまざまなことを学んだ平賀源内。
平賀源内は何事も中途半端にせず、全力で取り組みました。

エレキテル復元した平賀源内生涯死因田沼意次との関係を紹介します。

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平賀源内は何をした人?

平賀源内は享保13年(1728年)生まれ。
父・白石茂左衛門と母・山下氏の間に三男として誕生しました。

出生地は讃岐国寒川郡(現在の香川県さぬき市)。
白石家は讃岐高松藩の足軽を務めていました。

何故、平賀源内は白石姓ではなく平賀姓を名乗ったのでしょうか。

それは、信濃国佐久郡の信濃源氏大井氏流平賀氏の末裔だと称したから。

天文5年(1536年)に武田信玄の父・武田信虎による侵攻を受け、海ノ口城城主を務めていた平賀玄信は討死してしまいます。
信濃国にいられなくなった平賀氏は奥州に移り、伊達氏に仕えました。
伊達氏のもとで白石姓に改めた後、伊予宇和島藩に移り、讃岐で農業を営みました。

家督を放棄する

13歳で本草学、儒学を学んだ平賀源内。
寛延元年(1748年)、父・白石茂左衛門が亡くなり、20歳で藩の蔵番を引き継ぎました。

宝暦2年(1752年)には、長崎を一年間遊学。
本草学に加えて、オランダ語や医学、油絵などを学びます。

(長崎市の出島。蘭学は出島に滞在するオランダ人によって生まれました)

長崎から帰ると、藩の役目を辞め、妹に婿養子を迎えさせ、家督を放棄しました。

江戸に移る

その後、大坂や京都を経て、宝暦6年(1756年)には、江戸に移ります。

・本草学者・田村元雄(藍水)から本草学を学ぶ
・林家にも入門して、漢学を学ぶ
など、学問に励みました。

その後、再び長崎を遊学すると、鉱山の採掘や精錬の技術を学びました。

宝暦11年(1761年)、伊豆で鉱床を発見すると、産物のブローカーを行うようになりました。

「物類品隲」を刊行する

宝暦7年(1757年)から、平賀源内は薬品会を度々開催。

第5回「東都薬品会」で杉田玄白や中川淳庵らと知り合いました。

宝暦13年(1763年)には、物産解説書である「物類品隲」を刊行します。
薬品会で出品した2000品から360品を厳選し、和名や性質、産地などの解説を書きました。

町人
町人

平賀源内の幅広い才能は日本全国に知れ渡ります。
やがて、江戸幕府老中・田沼意次から一目置かれるようになりました。

また、オランダ博物学に関心を抱きましたが、平賀源内は語学に長けていません。
だからといって諦めることなく、通詞の協力を得て読解に努めました。

石綿を発見する

明和3年(1766年)には、武蔵川越藩・秋元凉朝から依頼されて、鉱山開発を開始。
奥秩父の川越藩秩父大滝の中津川で石綿を発見しました。

中津峡付近には、平賀源内が自ら設計し滞在した建物が「源内居」として残っています。

安永2年(1773年)には、出羽秋田藩・佐竹義敦から依頼され、鉱山開発の指導を行いました。

小田野直武に蘭画を教える

薬品会の開催、鉱山の開始など、意欲的に事業を行っていた平賀源内。
鉱山開発で知り合った秋田藩士・小田野直武に蘭画の技法を伝えます。

後に、小田野直武は「解体新書」の図を描きました。

死因は?

安永8年(1779年)、平賀源内は大名屋敷の修理を任されます。

ある日、宴会に参加し、すっかり酔っ払ってしまった平賀源内は修繕計画書を紛失してしまいました。
平賀源内は「修繕計画を盗まれた!」と勘違いし、大工・秋田屋九五郎を殺害。

11月21日、罪に問われた平賀源内は伝馬町で投獄されます。
そして、一ヶ月も経たない12月18日、52歳で獄死しました。

商人
商人

死因は破傷風による病死。

伝馬町の牢の環境は悪く、病死する者が多かったため、破傷風を患っても不思議はありません。
ただ、自責の念に駆られた平賀源内自ら絶食し、餓死したともいわれています。

田沼意次との関係

平賀源内の遺体を引き取ったのは、親族ではなく、狂歌師・平秩東作。
杉田玄白らが葬儀を執り行いましたが、幕府の許可が下りなかったため、墓碑や遺体のない葬儀となりました。

田沼意次から一目置かれていた平賀源内。
そのため、平賀源内の才能を惜しんだ田沼意次が平賀源内を出獄させて匿ったともいわれています。

書類上では、安永8年(1779年)12月18日に獄死した平賀源内。

町人
町人

ただ、
・親族が平賀源内の遺体を引き取っていない
・葬儀で平賀源内の墓碑や遺体がない
など、平賀源内の死には不審な点がいっぱい。

平賀源内が田沼意次のもとで静かな余生を送っていたとしても不思議はないかもしれませんね。

まとめ:多才な平賀源内は交友関係も広い!

エレキテル復元した平賀源内生涯死因田沼意次との関係を紹介しました。

家督を放棄し、さまざまな才能を発揮した平賀源内。

平賀源内がいなければ、「解体新書」の挿絵もなかったかもしれない。
そう考えると、平賀源内の功績は幅広いですね。

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