世界史の教科書に登場する宦官。
宦官とは去勢された男性を指し、宦官制度は古代中国から清王朝まで続きましたが、何故、宦官になりたがった男性がいたのでしょうか。
宦官になるメリット、デメリット、宦官の仕事内容を紹介します。
宦官になるメリット、デメリットとは?
※メリット、デメリットというと、宦官になることを勧めているようですが、決して勧めているわけではありません。
メリット
まずは、宦官になるメリットをみていきましょう。
寿命が延びる
2019年の日本人の男女別平均寿命では、男性が81.41歳、女性が87.45歳と、男性のほうが短命です。
男性が短命なのには、男性ホルモンが大きく影響していると考えられています。
というのも、男性ホルモンには、免疫機能を抑制する働きがあるからです。
去勢すると、男性ホルモンの分泌が低下し、がん細胞の増殖を抑制することができるのだとか。
去勢した宦官の寿命は、去勢していない男性に比べて、15歳から20歳も長かったそうです。
衣食住が保障される
去勢し、宦官として宮廷で採用されると、衣食住に困ることがありません。
雨風から田畑を守ったり、作物を売ったり、納税に追われたりする暮らしが一変するんです。
貧しい家では、自分が産んだ息子を宦官にしようと、去勢する家庭もありました。
でも、衣食住が保障されても、家族はもてなかったんじゃないの?
衣食住が保障された宦官は、女性から人気。
地位が特に高い宦官には、妻どころか愛人までいました。
もちろん、血の繋がった子どもは授かれませんが、養子を迎えて、家庭をもつことができました。
信頼される
女性からはもちろん、妻子のいる男性からも信頼されました。
襲われる心配がないですからね。
后妃や側室のお世話係は、宦官が任されていました。
でも、去勢したからといって、女性に対する恋愛感情までなくなるわけではありません。
恋心を抱いても、想いを伝えられないというのは切ないですね。
デメリット
続いて、デメリットをみていきましょう。
子孫を残せない
紹介したように、宦官は去勢しているので、子孫を残せません。
子どもがほしければ、養子を迎えるしかありませんでした。
血の繋がった子どもがほしい女性は、宦官と結婚しないと思いますが、中には、結婚した後に血の繋がった子どもがほしくなった女性もいたのではないかと思います。
また、宦官の中にも、結婚した後に、去勢したことを後悔した宦官もいたのではないかと思います。
一族の墓に入れない
現代では、性転換が受け入れられる社会に変わりつつあります。
でも、当時は、親から与えられた大事な身体にメスを入れるなんて、全く受け入れられないことでした。
そのため、中には、去勢した息子を軽蔑する親がいました。
親から見捨てられた宦官は一族の墓に入ることを許されませんでした。
頼れる身内がいない
紹介したように、親から見捨てられた宦官には、頼れる身内がいません。
宮廷を追い出されると、行き先がありませんでした。
そのため、宦官は皇帝に従い、皇帝のために献身的に働きました。
老化スピードが速い
去勢すると、男性ホルモンの分泌が低下するため、筋肉がつかなくなります。
猫背になったり、肌にハリがなくなってシワができたりと、老化が早く進みました。
どんな仕事をしていたの?
后妃や側室が住む後宮は、基本的に天皇と皇子以外の男性が入ることのできない場所でした。
「基本的に」ってどういうこと?
去勢した男性は入ることができたんです。
唐では、宦官は内侍省に所属していました。
内侍省は、内侍省監(2人)、内侍(4人)、内常侍(6人)などから構成されました。
・朝廷が終わった後に、皇帝の命令を宰相に伝える
・皇后入宮などの儀式を執り行う
・女官の衣装を調達する
・降嫁した公主の参内を記録する
などがありました。
また、女官が働く掖庭局では、女官の名簿を作成したり、女官に仕事を割り振ったりしました。
ドラマ「武則天-TheEmpress-」では、武如意(後の則天武后)が掖庭局で洗濯をしていました。
その他、女官に読み書きや儒学、書道を教える内文学館、病気になった女官に医薬を渡したり、亡くなった女官の葬儀を行ったりする奚官局、皇后の馬車を手入れしたり、輿を担いだりする内僕局、宮中の宝物や貨幣、臣下への贈答品を管理する内府局などがありました。
つまり、宦官は重要な仕事に携わっていたんです。
皇帝の最新の意向、后妃や女官の情報を自然と知ることができた宦官は、宮中の事情は何でも把握していました。
また、后妃の買い物を代行することで、経済や噂など、街の事情も把握していました。
まとめ
宦官になるメリット、デメリット、宦官の仕事内容を紹介しました。
宦官になるメリットには、
・寿命が延びる
・衣食住が保障される
・信頼される
などが、デメリットには、
・子孫を残せない
・一族の墓に入れない
・頼れる身内がいない
などが挙げられます。
後宮は、基本的に天皇と皇子以外の男性が入ることのできない場所でしたが、宦官だけは入ることを許されました。
重要な仕事に携わり、宮中や街の事情を把握していた宦官は、次第に権力を強め、宮廷にいなくてはならない存在となりました。
遣隋使、遣唐使を派遣し、日本は隋や唐の文化や制度を積極的に導入してきましたが、宦官制度は採り入れませんでした。
何故、日本が宦官制度を採り入れなかったのかを考えてみると、昔の日本人の暮らしが見えてくるかもしれませんね。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!