【隋】文帝(楊堅)の第1皇女・楊麗華ってどんな人?

隋を建国した初代皇帝・文帝(楊堅)。
文帝が北周を滅ぼすことができたのは、第1皇女・楊麗華のおかげだと言っても過言ではありません。

楊麗華とはどのような人物なのでしょうか。

文帝の第1皇女・楊麗華の生涯を紹介します。

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宣帝と結婚する

楊麗華は561年生まれで、隋の初代皇帝・文帝(楊堅)と皇后・独孤伽羅の間に、第1皇女として誕生しました。

573年、12歳で、北周の第3代皇帝・武帝の第1皇子・宇文贇に嫁ぎ、578年、第3代皇帝・武帝(宇文邕)が崩御し、宇文贇が第4代皇帝・宣帝として即位すると、皇后に冊立されました。

宣帝は女好きで、多くの側室を抱えていました。

おゆう
おゆう

楊麗華が皇后に冊立される前、側室・朱満月が第1皇子・宇文衍(えん)を既に出産していました。

ただでさえも、後宮では女性の争いが絶えないもの。
側室が多ければ多いほど、皇后は側室に嫉妬します。

でも、楊麗華は皇后のモラルをもった女性で、側室に嫉妬することはありませんでした。
側室に優しく接したため、楊麗華も側室から妬まれることはなく、むしろ、尊敬の念を抱かれていました。

側室と肩を並べる

579年2月、宣帝は即位してわずか1年で、7歳の第1皇子・宇文衍に譲位しました。

宇文衍が第5代皇帝・静帝として即位すると、宇文贇は天元皇帝と名乗って、
楊麗華を天元皇后に、
側室・朱満月を天皇后、
側室・陳月儀を天左皇后、
側室・元楽尚を天右皇后、
側室・尉遅熾繁を天左大皇后
に冊立しました。

おゆう
おゆう

天元皇帝は自称なので、ここでは、宣帝と呼ぶことにします。

5人の皇后が同時に冊立され、側室だった4人と同等の地位となったにも関わらず、楊麗華は不満を抱きませんでした。

宣帝から自害を命じられる

宣帝との間に男の子を授からなかった楊麗華は、宇文衍が静帝として即位すると、生母・朱満月を「皇太后」と呼んで敬いました。

すると、宣帝は大激怒。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

5人の皇后を同時に冊立したにも関わらず、「朱満月ではなく、楊麗華が皇太后だ」と言ったんです。

宣帝の怒りを買った楊麗華は、自害を命じられました。

何事にも動じず、側室に嫉妬しなかった楊麗華を、宣帝はつまらないと思っていました。
楊麗華の困った顔を見たかった宣帝は、楊麗華が失態を犯すのを待っていました。
宣帝は楊麗華を本当に自害させたかったのではなく、困らせたかったんです。でも、楊麗華は動じることなく、黙って自害を受け入れました。

すると、楊麗華が自害を命じられたと知った母・独孤伽羅は、宮廷に慌てて駆けつけ、宣帝に楊麗華の発言を謝罪し、許しを乞いました。

宣帝は独孤伽羅の迫力に負け、命令を取り下げ、楊麗華を許しました。

未亡人になる

宣帝は幼い静帝をサポートすることなく、毎日宴会三昧。

静帝のサポートは、静帝の祖父に当たる楊堅に任せていて、楊麗華は静帝をサポートする楊堅、楊堅にサポートされる静帝を微笑ましく見ていました。

おゆう
おゆう

でも、楊堅を皇帝にしたい独孤伽羅は、帝位を簒奪するように、楊堅の尻を叩きました。

毎日宴会に明け暮れていた宣帝は、ついに、お酒で身体を壊してしまいました。
宣帝の死期が近付くと、楊堅は偽の遺勅を作り、580年5月、身体を動かせない宣帝を暗殺。

偽の違勅に従って、最高位の官吏・左大丞相となり、静帝をサポートするどころか、静帝を意のままにしました。

楽平公主になる

581年2月、楊堅は静帝に譲位を迫り、皇帝に即位して、隋を建国しました。

静帝をはじめ、北周の宇文氏一族は皆殺しにされました。

宇文衍は朱満月が産んだ子どもですが、楊麗華にとって、息子であることに変わりはありません。
楊堅の行動を楊麗華は恥じていました。

楊堅が北周を倒し、文帝として皇帝に即位したことによって、楊麗華は北周の皇族という立場から、隋の皇族という立場に変わりました。

楊麗華は北周の天元皇后から、隋の楽平公主となりました。

おゆう
おゆう

20歳で夫に先立たれ、未亡人となった楊麗華。

文帝は楊麗華に再婚を勧めました。

わずか7歳の静帝に譲位し、宴会に明け暮れた宣帝は、皇帝の器ではなかったかもしれません。
でも、長年連れ添った楊麗華にとって、宣帝は大事な夫。

楊麗華は縁談を断り続けました。

49歳で亡くなる

609年、楊麗華は文帝の後を継いで即位した第2代皇帝・煬帝(楊広)と共に、張掖(甘粛省張掖市)に巡幸しました。


巡幸中に、楊麗華は病を患い、49歳で亡くなりました。

まとめ

文帝の第1皇女・楊麗華の生涯を紹介しました。

楊麗華が北周の第4代皇帝・宣帝に嫁いだことで、楊堅は朝廷で実権を握ることができました。

宣帝が崩御し、未亡人となった楊麗華に、楊堅は再婚を勧めましたが、楊麗華は断り続けました。
楊堅が怒らなかったのは、楊麗華に感謝していたからかもしれませんね。

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