上杉景勝の神指城が関ヶ原の戦いのきっかけに?幻になった理由

東北で人気を誇る鶴ヶ城(会津若松城)。
城主・上杉景勝が鶴ヶ城に代わる神指城を築こうとしていたことをご存知でしょうか。

神指城関ヶ原の戦いきっかけになった、そして、になった理由を紹介します。

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神指城とは?

神指城は福島県会津若松市神指町にあった城です。

☑ 総奉行に直江兼続
☑ 小奉行に直江兼続の弟・大国実頼、甘糟景継
を任命し、上杉景勝が築城しようとしていました。

上杉景勝の神指城が関ヶ原の戦いのきっかけに?

慶長3年(1598年)3月、豊臣秀吉によって、会津に移封された上杉景勝。
上杉景勝は鶴ヶ城(会津若松城)に入り、会津を治めます。

移封されて5ヶ月後、豊臣秀吉が亡くなると、豊臣家臣団は対立。
直江兼続が石田三成と仲良しだったため、上杉景勝と徳川家康は対立するようになりました。

直江家家紋
直江兼続

会津盆地の南東に位置していた鶴ヶ城にはある欠点がありました。

西南1.2キロメートル先にある小田山から鶴ヶ城を見下ろすことができたんです。

小田山は標高372メートルの低い山。
過去には、蘆名氏が山城を築いていたといわれています。

敵軍が山頂に到達したり、潜伏したり、陣を張ったりするのは簡単です。
小田山から鶴ヶ城の内部を探ったり、大砲を撃ち込んだりする可能性も十分あります。

上杉家家紋
上杉景勝

実際に、戊辰戦争では小田山から鶴ヶ城に大砲が撃ち込まれています。

慶長5年(1600年)2月、徳川家康を警戒した上杉景勝は、
・領内の諸城を補修する
・鶴ヶ城に代わる新しい城を築く
ように命じました。

上杉景勝と直江兼続が注目したのは、会津盆地の中央にある神指原(こうざしはら)。
神指原は鶴ヶ城から北西4キロメートル先に位置します。

何故、上杉景勝と直江兼続は神指原に注目したのでしょうか。

神指原は阿賀野川と湯川に挟まれていました。
大きな川に挟まれていた神指原は防衛と兵糧輸送に適していたんです。

また、川を利用して、流通ネットワークを構築すれば、経済効果を得ることもできます。

上杉景勝が想定していた神指城の面積は55ヘクタールで、これは鶴ヶ城の2倍の広さ。
縄張は本丸と二ノ丸からなる輪郭式の平城。鶴ヶ城に代わる会津の中心地として、城と城下町を築こうとしていたことがわかります。

総指揮を任された直江兼続は神指原にあった13の村の民を移住させます。
そして、領内から12万人を動員し、山から石を運ばせました。

町割まで計画し、わずか2ヶ月で本丸の石垣や門、二ノ丸、堀や土塁など、神指城はほぼ完成します。
その後、暑い日が続いたので休工しました。

休工している間に、津川城主・藤田信吉が徳川家康に密告。

上杉家家紋
上杉景勝

藤田信吉は上杉家中で数々の武功を上げてきた武将です。

いつしか上杉家と徳川家の橋渡しを任されるようになりました。

上杉景勝の代理として徳川家康に会っていた藤田信吉。
徳川家康は藤田信吉に銀子や由緒ある刀を贈ります。

直江兼続は藤田信吉が徳川家康と通じているのではないかと疑うように。

直江家家紋
直江兼続

藤田信吉は上杉家を出奔し、徳川家に仕えてしまったんです。

前々から対立していた上杉景勝と徳川家康。
神指城の築城は徳川家康に上杉討伐の口実を与えてしまいました。

6月10日、徳川家康が上杉討伐を命令したため、築城どころではなくなります。
築城に携わっていた者は全て国境に配備され、築城は中止になりました。

神指城が幻になった理由

神指城築城が中止されてから3ヶ月後、天下分け目の関ヶ原の戦いが起きます。
西軍(豊臣方)に属していた上杉景勝は敗北し、米沢に移封されました。

会津の地を踏むことができなくなった上杉景勝。

上杉家家紋
上杉景勝

神指城を諦めるしかありません。

寛永16年(1639年)には、神指城の石垣は全て鶴ヶ城運ばれて廃城になりました。

まとめ:神指城には会津を治める上杉景勝の夢が詰まっていた!

神指城関ヶ原の戦いきっかけになった、そして、になった理由を紹介しました。

神指城が完成していれば、
① 京・大坂
② 西の広島
にならんで、東は会津が政治経済の中心拠点になっていたかもしれません。

現在は本丸周辺と二ノ丸土塁の一部しか残っていないうえに、本丸跡は私有地のため立入禁止。
それでも、会津の将来を神指城に懸けた上杉景勝の想いが感じられる場所です。

神指城跡はJR東日本「会津若松駅」から会津バス・坂下線に乗り、バス停「高瀬」で降りると便利。
築城当時からそびえ立つケヤキ「高瀬の大木」を目印に10分程度歩くと到着します。

会津若松を訪れる機会があれば、足を運んでみてはいかがでしょうか。

私欲を捨てて、義と愛を貫いた直江兼続。
2009年のNHK大河ドラマ「天地人」を見て、直江兼続に興味をもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
直江兼続について知りたい方は、火坂雅志著「天地人」がおすすめ。

大河ドラマとは設定が少し異なりますが、「天地人」の原作本です。
直江兼続を取り巻く上杉景勝、豊臣秀吉や徳川家康の心情、視点も丁寧に描かれています。
真田幸村とのやり取りにも注目です。
ぜひ一度、「天地人」を読んでみてください

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