【梁】武帝(蕭衍)の正妻・郗徽と側室・丁令光ってどんな人?

斉を滅ぼし、梁の初代皇帝・武帝として即位した蕭衍。

蕭衍には7人の后妃がいて、正妻・郗徽は側室・丁令光をいじめていました。
郗徽と丁令光とは、どのような人物なのでしょうか。

武帝(蕭衍)の正妻・郗徽と側室・丁令光の生涯を紹介します。

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武帝(蕭衍)の正妻・郗徽ってどんな人?

郗徽(ちき)は468年生まれで、高平郡金郷県(山東省済寧市)の出身。

おゆう
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金郷県は中国最大のニンニクの産地で、海外にも輸出されています。

宋で太子舎人を務めた郗燁と宋の第3代皇帝・文帝(劉義隆)の第10皇女・尋陽公主の間に誕生しました。
幼い頃から賢く、隷書体の才能に溢れ、また、特に史伝を好んで読みました。

お嬢ちゃん
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宋の第7代皇帝・後廃帝(劉昱)が郗徽を皇后に迎えたいと言いました。

自分の命令に従わない者を痛めつけたり、手当たり次第に民を殺したりと、後廃帝が残虐な性格であることを知っていた郗燁は、病を理由に断りました。

坊っちゃん
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斉の第5代皇帝・明帝(蕭鸞)の弟・蕭緬が郗徽を妻に迎えたいと言いました。

蕭緬は寛大な心の持ち主で、真面目に政務に取り組み、高く評価されていましたが、郗燁は病を理由に断りました。

すけさん
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後廃帝、明帝の弟・蕭緬の2人の求婚を断った郗燁と郗徽が選んだのは、即位する前の蕭衍。

482年、蕭衍に求婚され、郗徽は蕭衍と結婚しました。

郗徽は永興公主(蕭玉姚)、永世公主(蕭玉婉)、永康公主(蕭玉嬛)の3人の女の子を授かったものの、男の子を全く授かりませんでした。
そのため、丁令光や阮令嬴などの側室を迎えざるを得ませんでした。

498年、蕭衍が雍州(湖北省襄陽市)刺史に任命され、郗徽は雍州に移りましたが、32歳で亡くなりました。

郗徽が亡くなった後、蕭衍は正妻を迎えず、502年、梁を建国して、初代皇帝・武帝として即位した後、郗徽に皇后を追贈しました。

武帝(蕭衍)の側室・丁令光ってどんな人?

武帝には側室が6人いましたが、中でも調査愛されたのが丁令光です。

丁令光は485年生まれで、父は宣城(安徽省宣城市)太守・丁道迁です。
祖父が襄陽で官職に就いたため、一族で沔水(漢水)の北にある五女村に移り住みました。

おゆう
おゆう

484年、丁令光は于樊城で生まれました。

丁道迁が宣城太守を務めたとはいえ、丁令光は田舎の貧農出身。
でも、14歳で丁令光は蕭衍に見初められ、499年に側室となりました。

蕭衍の側室となり、経済的には豊かになったものの、丁令光は厳しい生活を強いられていました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

というのも、蕭衍の正妻・郗徽が嫉妬深く、側室である丁令光を冷遇したからです。

郗徽の命令に従って、丁令光は毎日五斛(さか)もの米をつきました。

1斛は10斗で、1斗は18リットルです。
つまり、900リットルもの米を毎日ついていたことになります。
坊っちゃん
坊っちゃん

米の単位がリットルっておかしくないですか?

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

米1リットルは0.83キログラムです。

おゆう
おゆう

まとめると、747キログラム(=0.83キログラム×900リットル)ついていたんですね。

丁令光は郗徽の無茶な要求に対して刃向かうことなく従いました。

郗徽が亡くなると、丁令光は蕭衍の長男・蕭統を出産。
蕭衍が東昏侯の討伐に出向くと、丁令光は襄陽で過ごし、蕭衍が都・建康を平定すると、建康へ移りました。

502年、蕭衍が武帝として即位すると、朝廷では、丁令光を貴嬪に冊立するべきだという議論が行われました。

議論に従い、武帝は丁令光を貴嬪に冊立しました。
丁令光は他の側室より高い地位となり、11月、武帝は蕭統を皇太子に冊立しました。

おゆう
おゆう

丁令光は蕭統の他、第3皇子・蕭綱、第5皇子・蕭続の2人の皇子を授かりましたが、子どもの栄光にあやかることなく、豪華な装飾を好まず、親族を高い官職に任命するように求めることもありませんでした。

武帝が仏教を信仰すると、丁令光も魚や肉を断ち、野菜のみを食べるようになりました。
また、武帝と共に仏教経典を読みました。

526年、42歳で亡くなりました。

549年、蕭綱が梁の第2皇帝・簡文帝として即位すると、皇太后を追贈されました。

まとめ

武帝(蕭衍)の正妻・郗徽と側室・丁令光の生涯を紹介しました。

郗徽は宋の第7代皇帝・後廃帝(劉昱)と斉の第5代皇帝・明帝(蕭鸞)の弟・蕭緬の2人の求婚を断り、蕭衍と結婚しましたが、嫉妬深い郗徽は側室である丁令光を冷遇しました。
丁令光は郗徽のいじめに刃向かうことなく従い、郗徽が亡くなった後には、武帝と共に仏教を信仰し、武帝を支えました。

郗徽は丁令光をいじめていたことを後悔しているかもしれませんね。

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