【唐】父・玄宗に妻・楊貴妃を略奪された李瑁ってどんな人?

楊貴妃とのロマンスで有名な唐の第9代皇帝・玄宗(李隆基)。

実は、楊貴妃が玄宗の子ども・李瑁の妻だったことをご存知でしょうか。

おゆう
おゆう

つまり、李瑁は父・玄宗に妻・楊貴妃を略奪されたんですね。

李瑁とはどのような人物なのでしょうか。

父・玄宗に妻・楊貴妃を略奪された李瑁の生涯を紹介します。

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伯父・李成器に育てられる

715年、唐の第9代皇帝・玄宗(李隆基)と則天武后の従姪・武恵妃の間に、第13皇子として誕生しました。

第13皇子ですが、玄宗の18子なので、李瑁は「十八郎」と呼ばれました。

李瑁の同母兄である第8皇子・李一、第11皇子・李敏、同母姉である第8皇女・上仙公主が幼くして亡くなっていました。

そのため、武恵妃の悲しむ姿を見たくなかった玄宗は、李瑁を宮廷の外に住む兄・李成器に預け、李瑁は李成器とその妻・元氏に育てられました。

寿王に封じられる

一般的には、皇帝の子どもは生後すぐに王に封じられますが、李瑁は宮廷の外で李成器に育てられたため、王に封じられませんでした。

おゆう
おゆう

王に封じられなかった李瑁は兄弟に挨拶することも許されず、7歳で初めて兄弟に会いました。

李瑁の礼儀作法は宮中で育った兄弟に引けを取らず、玄宗は李瑁の教養と才能に驚き、李瑁を寿王に封じました。

727年には、益州(四川省成都市)大都督・剣南節度大使に任命されました。

楊玉環と結婚する

735年、街で美しいと噂の楊玉環と結婚しました。

楊玉環が貴妃に冊立される

738年、母・武恵妃が病を患って亡くなり、悲しみに暮れた玄宗に、側近・高力士はある女性を紹介しました。

おゆう
おゆう

楊玉環です。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

えっ?楊玉環って、李瑁の奥さんじゃないですか?

楊玉環は音楽や踊りの才能があり、芸術肌の玄宗は楊玉環に一目惚れしました。

坊っちゃん
坊っちゃん

李瑁と結婚させる前に、玄宗は楊玉環に会わなかったのでしょうか。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

武恵妃にぞっこんだったから、楊玉環の魅力に気付かなかったのかもしれません。

740年、楊玉環を側室として迎えることにした玄宗は楊玉環を出家させました。
そして、745年、楊玉環は玄宗の側室となって貴妃に冊立され、李瑁は楊玉環と離縁。

李瑁は左衛勛二府右郎将軍・韋昭訓の3女・韋氏を紹介されて再婚しました。

李瑁は楊玉環との間に子どもを授かりませんでしたが、韋氏との間に、李僾、李伓、李偡、李伉、李傑の5人の男の子、清源県主、陽城県主の2人の女の子を授かりました。

元妻・楊貴妃を亡くす

755年、安史の乱が勃発し、玄宗が皇太子・李亨や楊貴妃と共に蜀(四川省成都市)に逃げることになり、李瑁は玄宗に同行しました。

楊貴妃の又従兄・楊国忠が禁軍龍武大将軍・陳玄礼に殺され、自害するよう命じられた楊貴妃は高力士に首を絞められて亡くなりました。

おゆう
おゆう

目の前で元妻を失った李瑁。

でも、李瑁は混乱する兵をとりまとめ、玄宗を蜀に送り届け、775年に亡くなりました。

まとめ

父・玄宗に妻・楊貴妃を略奪された李瑁の生涯を紹介しました。

母・武恵妃を寵愛していた父に、自分の妻を略奪されるなんて、李瑁は想像もしていなかったと思います。
李瑁と結婚した韋氏も複雑な気持ちだったのではないでしょうか。

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