チョコレート菓子、チョコレートパン、チョコレートソース。
私達の食生活に欠かせないチョコレートですが、日本人で初めてチョコレートを食べたのは誰かご存知ですか?
① 岩倉具視が日本人で初めてチョコレートを食べた
② 支倉常長が日本人で初めてチョコレートを飲んだ
といわれる背景を紹介します。
日本人で初めてチョコレートを食べたのは岩倉具視?
日本人で初めてチョコレートを食べたのは、岩倉具視率いる「岩倉使節団」です。
① 特命全権大使・岩倉具視
② 副使・木戸孝允、伊藤博文、山口尚芳、大久保利通
をはじめ、名立たるメンバーで構成された使節団です。
明治4年(1871年)、岩倉使節団は欧米を訪問。
道中、フランスのパリ郊外にあるチョコレート工場を訪れ、
・チョコレートの作り方
・原材料となるカカオの産地
などを学びました。
その後、オーストリアで行われたウィーン万国博覧会に出席し、出品されたチョコレートを見学。
☑ チョコレートの味や見た目の感想
を記した資料が残っています。
実は、岩倉使節団がチョコレートを食べた10年前。
日本では、チョコレートに対する関心が既に高まっていました。
安政7年(1860年)、江戸幕府は艦長を勝海舟とする万延元年遣米使節団をアメリカに派遣。
翌年、文久3年(1861年)には、文久遣欧使節団をチョコレート製造の盛んな地域に派遣しました。
その後、
・長州藩が伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、井上勝の5人を
・薩摩藩が五代友厚や森有礼ら薩摩藩遣英使節団を
イギリスに派遣。
慶応2年(1866年)、条約締結国への留学渡航が可能になると、欧州に渡航、滞在する日本人が増えます。
その際、日本人が現地でチョコレートを食べたと考えられていますが、明確な資料は残っていません。
そのため、史料が残っている岩倉使節団が日本人で初めてチョコレートを食べたとされているんです。
支倉常長はチョコレートを飲んだ?
日本人で初めてチョコレートを飲んだのは、支倉常長だといわれています。
支倉常長は慶長遣欧使節の副使として、伊達政宗によってスペインに派遣されました。
伊達政宗が慶長遣欧使節を派遣した目的は、仙台藩とスペインの通商交渉。
正使であるルイス・ソテロは、
① 交渉を成立させる
② 大司教になるという自らの野望を叶える
ために、「伊達政宗がキリスト教に強い関心を抱いている」とスペインで訴えました。
ところが、日本国内では、キリスト教徒の弾圧が激化。
「交渉が成立しないと帰国できない!」と言いましたが、慶長遣欧使節は退去勧告を受けます。
元和3年(1617年)7月4日、慶長遣欧使節はスペインを強制的に追い出され、メキシコに到着しました。
メキシコ滞在中、慶長遣欧使節はチョコレートドリンクを飲んだといわれています。
・眠気覚まし
・ストレス軽減
・疲労回復
などの効果を期待して、チョコレートは薬として親しまれていたんです。
キリスト教に改宗したにも関わらず、伊達政宗から与えられた使命を果たせなかった支倉常長。
支倉常長の疲れた身体と心は、チョコレートドリンクに癒されたのではないでしょうか。
まとめ:支倉常長はチョコレートを服薬していた!
① 岩倉具視が日本人で初めてチョコレートを食べた
② 支倉常長が日本人で初めてチョコレートを飲んだ
といわれる背景を紹介しました。
元和3年(1617年)に滞在したメキシコで、支倉常長は日本人で初めてチョコレートを飲みました。
当時、チョコレートは薬として愛用されていたからです。
その256年後の明治6年(1873年)に開催されたウィーン万国博覧会で、岩倉具視は日本人で初めてチョコレートを食べました。
私達が日本でチョコレートを楽しめるのは、支倉常長と岩倉具視のおかげですね。
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