建武の新政で楠木正成が大出世し、すぐに役職を辞職した理由

鎌倉幕府軍と戦いながら、隠岐国に流された後醍醐天皇を待っていた楠木正成。
建武の新政が始まると、楠木正成は多くの役職に任命されます。

ところが、楠木正成は間もなく辞職しました。

建武の新政における楠木正成の大出世
② 楠木正成がすぐに役職辞職した理由
を紹介します。

スポンサーリンク

建武の新政で楠木正成が大出世!

千早城の戦いで、わずか1000人の手勢で、2万5000人もの幕府軍を引きつけた楠木正成。

倒幕に大きく貢献した楠木正成は功績を称えられ、
① 後醍醐天皇が兵庫から京に凱旋する時に、行列の先陣を務める
② 後陣に楠木正成と共に戦った畿内の軍勢を引き連れる
などしました。

後醍醐天皇による建武の新政が始まると、
① 記録所寄人(庶務・執筆)
② 雑訴決断所奉行人(所領訴訟担当)
③ 検非違使(不法・違法の取り締まり)
④ 河内国・和泉国の守護
⑤ 河内守(国司)
に任命されました。

楠木正成の出自にはさまざまな説があります。
ただ、悪党と呼ばれる楠木正成にとって、こんなに多くの役職を任されることは大出世でした。

楠木正成がすぐに役職を辞職した理由

ところが、この約1年後、楠木正成はほとんどの役職を辞職します。

何故、楠木正成は辞職したのでしょうか。

その答えは、
① 後醍醐天皇に不満を抱いていたから
② 後醍醐天皇に間違いを気付かせたかったから
③ そもそも出世を求めていなかったから
です。

後醍醐天皇に失望したから

楠木正成は後醍醐天皇の政治に大きな期待を抱いていました。
ところが、その大きな期待が失望に変わる事態が起きます。

紀州湯浅党の征伐

鎌倉幕府の滅亡により、関東申次(朝廷と幕府の調整役)を解任された公家・西園寺公宗。
表舞台に出る機会を失った西園寺公宗は北条氏の残党と手を組んで、後醍醐天皇の暗殺を企てます。

弟・西園寺公重の密告により、後醍醐天皇が危険にさらされることはありませんでした。
ただ、北条氏や北条旧臣をはじめ、建武の新政に不満を抱く悪党が呼応して蜂起しました。

中には、倒幕のために一緒に戦った紀州湯浅党も含まれていました。
それでも、河内国の守護として、楠木正成は征伐しなければいけませんでした。

護良親王の流罪

① 足利尊氏との対立
② 阿野廉子の陰謀
によって、後醍醐天皇との間に確執が生まれていた護良親王。

後醍醐天皇から帝位簒奪を疑われ、護良親王は鎌倉に流罪となりました。

楠木正成にとって、護良親王は倒幕のために一緒に戦った仲間。
後醍醐天皇が隠岐国に流された後、楠木正成と護良親王は後醍醐天皇の再起を信じて励まし合ってきました。

倒幕のために一緒に戦った仲間を次々と排除する後醍醐天皇に、楠木正成は失望してしまいました。

後醍醐天皇に間違いを気付かせたかったから

後醍醐天皇は天応に権力を集中させることに強いこだわりをもっていました。
天皇独裁体制を目指すあまり、建武の新政は失敗。

後に、足利尊氏と対立し、吉野に逃げることになっても、後醍醐天皇は天皇の親政を諦めませんでした。

後醍醐天皇の理想が高すぎると感じた楠木正成は、建武の新政が失敗することに気付いていました。
でも、楠木正成が後醍醐天皇に直接訴えかけたところで、話を聞いてくれるとは思えません。

そこで、楠木正成は辞職して後醍醐天皇から離れることで、間違いを気付かせたかったんです。

そもそも出世を求めていなかったから

楠木正成は「国に困窮している者がいれば知らせるように」と言ってきました。

身分をわきまえずに贅沢して困窮したものは助けません。

でも、子供が多い、両親を養っているなど、誰かを救うために困窮した者は積極的に助けました。
そして、再び困窮しないように、生計を立てる方法を教えたり、仕事を与えたりしました。

つまり、楠木正成は皆が明日を無事に迎えられることを第一に願っていたんです。

楠木正成は多くの役職の兼任を望んでいたでしょうか。

楠木正成の任された役職が民の生活に直接いい影響を与えられるものなら、辞職しなかったかもしれませんね。

まとめ:楠木正成は建武の新政に失望した!

建武の新政における楠木正成の大出世
② 楠木正成がすぐに役職辞職した理由
を紹介しました。

楠木正成は、
① 後醍醐天皇に失望したから
② 後醍醐天皇に間違いを気付かせたかった
③ そもそも出世を求めていなかった
ため、抜擢されて間もなく辞職しました。

後醍醐天皇に大きな期待を抱いていた楠木正成。
何のために、誰のために戦ってきたのかと苦悩したのではないでしょうか。

楠木正成は大河ドラマ「太平記」に登場しています。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

タイトルとURLをコピーしました