【宋】武帝(劉裕)により貴族が衰退し軍事政権となった経緯

それまでは、貴族が政権を握っていましたが、武帝劉裕)の建国したでは、軍人が政権を握りました。

貴族が衰退し、軍事政権となった経緯を紹介します。

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たたき上げ軍人・劉裕の台頭

宋の建国者である初代皇帝・武帝(劉裕)の父・劉翹は下級書記官で、母・趙安宗は劉裕を出産してすぐに亡くなりました。

趙安宗を亡くした劉翹は乳母を雇って、劉裕を育てなければいけませんでしたが、乳母を雇うお金がありません。
劉翹は劉裕を育てることを諦めて、劉裕を殺そうとしたところ、見かねた趙安宗の姉が劉裕を育ててくれることになりました。

趙安宗の姉は第2子を出産したばかりでした。

お世辞にも裕福とはいえない家庭に生まれた劉裕は、田を耕したり、草履を売ったりして、生計を立てました。

399年、劉裕が25歳を過ぎた頃、孫恩の乱が勃発。
劉裕は北府軍に入り、孫恩の乱を鎮圧し、劉裕の名前が都まで知れ渡りました。

404年には、劉裕は北府軍の総司令官となり、幽閉されていた東晋の第10代皇帝・安帝(司馬徳宗)を救い出しました。
412年、対立していた衛将軍・劉毅を殺し、次々と軍功を上げ、また、対立する人材を排除した劉裕は、東晋で実権を握りました。

貧民出身の軍人・劉裕の誕生により、貴族は発言の機会を徐々に失い、やがて、受け身の立場に追いやられることになりました。

劉裕の遺詔による貴族の軍事不関与

420年、宋を建国し、初代皇帝・武帝として即位した劉裕は、即位してからわずか2年で病死しました。

崩御する直前、劉裕は遺詔をしたためました。

遺詔の内容は、
① 軍事上の要地であり、都・建康に近い京口の長官には、皇族や近親の者を任命すること
② 揚子江中流地帯の要衝である荊州の長官には、皇子を任命すること
の2点です。

遺詔は守られ、あまり教養のない皇族とたたき上げの軍人によって軍事が行われるようになりました。

貴族は軍事に全く関与できなくなりましたが、軍事面以外の事柄には、以前と変わらず関与することができました。

おゆう
おゆう

例えば、宋の第3代皇帝・文帝(劉義隆)は、名門出身の王弘や王華、王曇首や殷景仁などの貴族に、軍事面以外の政治を任せ、貴族や官吏の子どもや兄弟が通う教育機関・国子学を復興させました。

ある日、文帝はお気に入りの中書舎人・徐爰に、「貴族に仲間入りしたければ、名門の琅邪王氏出身の王球を訪れ、『陛下の命令で、相席させてほしい』と言ってみなさい」と言いました。
徐爰は王球を訪れ、文帝に言われたとおりに話すと、王球は扇子を振りながら、「それは駄目だ」と言って断りました。徐爰は文帝に相席できなかったことを報告しましたが、文帝は王球を罰さず、「王球が『駄目』と言ったなら、私にはどうしようもない」と言いました。

国のトップである皇帝がどんなに大きな権力をもっていても、宋以前の朝廷で、300年以上も実権を握り続けた貴族という身分を変えることはできませんでした。

皇族間の争いによる異姓の軍人の台頭

ところが、433年、待遇に不満を抱いた詩人・謝霊運が処刑されると、文帝が貴族の特権を認めてきた裏で、貴族が徐々に衰退していることが浮き彫りになりました。

453年、文帝は第1皇子・劉劭に殺され、文帝を殺した劉劭は文帝の第3皇子である異母弟の第4代皇帝・孝武帝(劉駿)に殺されました。

孝武帝の第1皇子である第5代皇帝・前廃帝(劉子業)は孝武帝の第8皇子である異母弟・劉子鸞を殺し、前廃帝は文帝の第11皇子である第6代皇帝・明帝(劉彧)に殺されました。

明帝の第1皇子である第7代皇帝・後廃帝(劉昱)は、文帝の第13皇子・劉休範や第7皇子である劉宏の子ども・劉景素を殺しました。

皇族同士の殺し合いが続き、同族を信用できなくなった皇帝は、皇族ではない異姓の軍人に信頼を寄せ、軍人を側近にするべく官位を高めました。
皇族同士の殺し合いによって、貴族は衰退し、軍人が実権を掌握するようになりました。

まとめ

武帝劉裕)の建国した貴族が衰退し、軍事政権となった経緯を紹介しました。

宋を建国した初代皇帝・武帝(劉裕)はたたき上げの軍人で、たたき上げの軍人が建国した宋では、建国当初から軍人が政権を握りやすい環境が整っていました。
武帝は即位後わずか2年で病死しましたが、武帝の遺詔は守られ、皇族が軍事を行い、貴族は軍事に関与できなくなりました。

その後、親子間、兄弟間での皇族争いが続き、同族を信用できなくなった皇帝は、同族ではない軍人に信頼を寄せ、側近として重用し、貴族は更に権力を失いました。

宋が軍事政権となることは、武帝が宋を建国した時から決まっていたのかもしれませんね。

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