【北魏】孝文帝(元宏)の母親が馮太后といわれている4つの理由

北魏の第6代皇帝・孝文帝(元宏)の生母は李夫人ですが、実際には、祖母にあたる馮太后が生母なのではないかともいわれています。

孝文帝元宏)の母親が馮太后といわれている4つの理由を、孝文帝の生涯と共に紹介します。

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孝文帝(元宏)ってどんな人?

孝文帝は467年生まれで、北魏の第5代皇帝・献文帝(拓跋弘)と李夫人の間に、第1皇子として誕生しました。
名前は拓跋宏といいます。

おゆう
おゆう

「宏」と「弘」。
子どもに自分の名前と同じ読みの名前を付けるなんてと思うかもしれませんが、中国語では読みが異なります。

ここで注目したいのは、孝文帝が誕生した時の献文帝の年齢。
献文帝は454年生まれなので、孝文帝が誕生した時、献文帝はわずか13歳という計算になります。

即位する

471年、義母・馮太后と対立していた献文帝は馮太后に敗れ、元宏に譲位するよう迫られました。

馮太后に脅迫された献文帝は元宏に譲位し、元宏は第6代皇帝・孝文帝として即位しました。

お嬢ちゃん
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即位した当時、孝文帝はわずか4歳。

幼い孝文帝をサポートしたのは、もちろん、馮太后です。
馮太后の指導のもと、孝文帝は均田制や三長制、俸禄制などの改革に取り組みました。

漢化政策を行う

490年、馮太后が亡くなりました。

坊っちゃん
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でも、23歳になった孝文帝に、馮太后のサポートは必要ありません。

孝文帝は自ら政務を行いました。

馮太后の指導のもと取り組んだ改革を引き続き行った他、平城(山西省大同市)から洛陽に遷都したり、鮮卑族の文化や風習を禁止して、漢民族と融合する漢化政策を行ったりしました。

漢化政策を行った時、孝文帝は姓を拓跋氏から元氏に改めました。

499年、孝文帝は33歳の若さで崩御しましたが、孝文帝の治世は北魏の全盛期と高く評価をされています。

孝文帝(元宏)の母親が馮太后といわれている4つの理由

紹介したように、孝文帝の生母は馮太后なのではないかともいわれています。
その理由は4つあります。

馮太后の死後、3年間喪に服したから

当時、血の繋がった実父、実母が亡くなった場合、3年間喪に服すのが一般的でした。

おゆう
おゆう

つまり、祖父、祖母が亡くなっても、3年間喪に服す必要はありませんでした。

でも、祖母にあたる馮太后が亡くなると、周囲の諫言を無視して、孝文帝は3年間喪に服しました。

馮太后は北魏の旧都・平城にある永固陵に埋葬されていました。
馮太后が孝文帝の実母であれば、孝文帝は馮太后の埋葬されている永固陵を陵墓として選ぶはず。
ところが、孝文帝の選んだ陵墓は洛陽にある長陵でした。

孝文帝の母・李夫人一族が冷遇されていたから

孝文帝の生母・李夫人は、孝文帝を出産した2年後の469年に、子貴母死制によって亡くなりました。
李夫人が亡くなった後、李氏一族は要職に就くことなく、冷遇され続けました。
一方、馮太后はというと、自身はもちろん、馮一族は要職に就き、朝廷で権勢を振るいました。

北魏で子貴母死制が採用されたのは、生母とその一族の権力を奪うためです。
思皇后はもちろん、李氏一族が冷遇され続けたのは当然なのかもしれません。

馮太后自ら孝文帝を養育したから

北魏の第5代皇帝・献文帝と対立し、譲位に追い込むほど、朝廷の頂点に立つことに固執した馮太后。
ところが、467年に孝文帝が誕生すると、馮太后は自ら朝廷を退き、孝文帝を養育しました。

献文帝と対立していた馮太后は、献文帝が退位した先々のことを考えていたのかもしれません。

献文帝が退位した後、即位するのは孝文帝です。

孝文帝から信頼されることこそ、今後権力を維持するうえで大事だと考えた馮太后は、朝廷から一時的に退いて、孝文帝を自ら養育したのかもしれません。

史書に「母子」と記載されているから

北魏について書かれた史書「魏書」に、孝文帝と馮太后は「母子」だったと記載されています。

おゆう
おゆう

「魏書」を編纂した北斉の太学博士・魏収は、孝文帝の甥にあたる北魏の第11代皇帝・節閔帝(元恭)に仕えていました。

まとめ

孝文帝元宏)の母親が馮太后といわれている4つの理由を、孝文帝の生涯と共に紹介しました。

馮太后の死後、孝文帝が3年間喪に服したこと、孝文帝の母・李夫人一族が冷遇されていたこと、馮太后自ら孝文帝を養育したこと、史書に「母子」と記載されていることから、孝文帝の生母は李夫人ではなく、馮太后ではないかといわれています。

孝文帝の生母が李夫人なのか、馮太后なのか、明らかにはなっていませんが、孝文帝が馮太后に支えられたことに変わりはありません。
馮太后のサポートがなければ、孝文帝は北魏の全盛期を築くことができなかったかもしれませんね。

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