女性忍者・くノ一。
武田信玄に仕えた望月千代女はくノ一として唯一名前を残しました。
武田信玄の忍者くノ一集団とその一員だった歩き巫女・望月千代女を紹介します。
武田信玄の忍者くノ一集団
・徳川家が伊賀忍者や甲賀忍者を抱えていた
・北条家が風魔忍者を抱えていた
ように、武田家も忍者を抱えていました。
でも、武田家お抱えの忍者には大きな特徴がありました。
武田家は男性忍者だけでなく、くノ一と呼ばれる女性忍者をも抱えていたんです。
くノ一の由来は「女」という漢字。
よく見ると、「女」は「く」、「ノ」、「一」から成り立っています。
そのため、女性忍者をくノ一と呼ぶようになりました。
忍者といえば、
・火遁の術、水遁の術、分身の術など、さまざまな術を使って、相手を惑わせる
・手裏剣を投げて攻撃する
イメージがあるかもしれません。
でも、くノ一は女性であることを活かし、相手を油断させて、さまざまな情報を引き出しました。
今で言うハニートラップですね。
戦国最強と呼ばれた武田軍を率いていた武田信玄は、
① 軍法
② 戦が始まる前の情報収集
を重視していました。
その情報収集を行ったのが武田信玄自ら組織した忍者集団・くノ一です。
くノ一の構成員の多くは歩き巫女。
歩き巫女というと、全国を歩いて祈祷する女性を想像するかもしれませんが、
・ある時は巫女として祈祷する
・ある時は旅芸人として芸を披露する
・ある時は遊女として相手を楽しませる
など、姿をコロコロと変えていました。
どのような場面であっても、くノ一は怪しまれないように振る舞わなければいけません。
歩き巫女はくノ一の素質をもっていたんですね。
武田信玄は歩き巫女をくノ一に育て上げて各国に向かわせ、入手した情報をもとに作戦を練って、戦で勝利を重ねました。
歩き巫女・望月千代女
武田信玄の抱えるくノ一集団の頭となったのが、歩き巫女・望月千代女(もちづきちよめ)です。
望月千代女は、武田家臣である信濃国望月城主・望月盛時の妻でした。
ところが、永禄4年(1561年)に勃発した第四次川中島の戦いで望月盛時が討死。
未亡人になった望月千代女はくノ一集団の頭に任命されました。
実は、望月千代女は甲賀忍者の血を引いていたんです。
武田信玄は望月千代女の血筋に期待を寄せて、望月千代女を頭に任命しました。
くノ一集団の頭となった望月千代女の仕事は、歩き巫女を立派なくノ一に育て上げること。
望月千代女は
・練兵場を開いて、くノ一として活躍できるよう指導する
・くノ一集団の一員として、情報を収集する
・くノ一集団の頭として、くノ一の素質のある女性をスカウトする
などして、くノ一集団を拡大しました。
望月千代女から指導を受けたくノ一は各国に放たれ、武田信玄に有益な情報を入手しました。
また、敵対する国に長期間滞在して、その国と民に溶け込み、国内で対立が起きるよう仕掛けました。
国内で対立が起きれば、その国の力を弱めることができます。
戦国最強の武田軍が危機に瀕した国に勝つのは簡単。
まさに軍略に長けた武田信玄が組織したくノ一集団だったんですね。
まとめ:望月千代女は歩き巫女でくノ一集団の頭だった!
武田信玄の忍者くノ一集団とその一員だった歩き巫女・望月千代女を紹介しました。
戦が始まる前の情報収集を重視していた武田信玄は歩き巫女でくノ一集団を組織。
くノ一集団の指導を頭・望月千代女に任せました。
望月千代女が育成したくノ一は情報を収集したり、国内で対立が起きるよう仕掛けたりしました。
武田軍が戦国最強と呼ばれた裏には、望月千代女率いるくノ一集団の努力があったんですね。
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