大阪府河内長野市には20もの城が存在したといわれています。
その中でも、烏帽子形城は史料に最もよく登場する城です。
烏帽子形城の歴史を時代別に紹介します。
平安時代
烏帽子形城と思われる城が史料に初めて登場するのは、なんと平安時代末期。
寿永2年(1183年)に行われた室山の戦いで、平家に敗北した源行家が立てこもった城として登場します。
平安時代後期から鎌倉時代まで、烏帽子形城周辺の地域は「長野荘」と呼ばれていました。
そのため、長野城は烏帽子形城の前身である可能性が高いんです。
寿永3年(1184年)には、同じ河内源氏を祖とする石川義兼も立てこもりました。
文治元年(1185年)には、異母兄・源義広も立てこもりました。
南北朝時代
元弘2年(1332年)、楠木正成は烏帽子形城を築城。
上赤坂城の支城だった烏帽子形城では、
① 楠木正成の家臣・高向氏
② 北朝の北畠氏
との間で、激しい戦いが繰り広げられました。
室町時代
文正元年(1466年)、
① 畠山義就
② 従兄弟・畠山政長
の間で家督争いが起こります。
畠山義就は畠山政長が拠点とする烏帽子形城を攻略しました。
畠山義就と畠山政長の死後・大永4年(1524年)には、
① 畠山稙長
② 畠山義堯
の間で家督争いが続きます。
畠山稙長が烏帽子形城に進軍し、畠山義堯を高野山に追放しました。
戦国時代
戦国時代に入ると、より多くの武将が烏帽子形城と関わるようになります。
三好三人衆が支配する
永禄5年(1562年)、教興寺で畠山高政と三好長慶が戦います。
敗れた畠山高政は烏帽子形城に退却した後、堺を経て紀伊に逃亡しました。
永禄10年(1567年)、畠山高政に味方する根来寺の僧兵が烏帽子形城を攻撃。
三好三人衆から烏帽子形城を取り戻そうとしますが、落城せず失敗に終わりました。
畠山氏が支配するも滅亡する
この翌年、織田信長が上洛すると、三好三人衆は阿波に追放されます。
烏帽子形城は畠山秋高が支配することとなりました。
元亀元年(1570年)、織田信長が北陸攻めを行っている隙に、三好三人衆が烏帽子形城を攻撃。
三好三人衆は180人以上を討ち取りますが、烏帽子形城は落城しませんでした。
元亀4年(1573年)、家臣・遊佐信教が畠山秋高を討ち、畠山氏は滅亡。
遊佐信教に仕える草部氏が烏帽子形城を占拠します。
間もなく、宮崎針大夫・鹿目助兄弟が畠山遺臣・碓井定阿、三宅智宣、伊地知文太夫と共に烏帽子形城を奪還しました。
織田信長の河内国平定の拠点となる
天正3年(1575年)、織田信長が河内国を平定します。
この時、織田信長は烏帽子形城以外の河内国の諸城を取り壊します。
織田信長が河内国を平定した頃、ポルトガル宣教師であるルイス・フロイスが烏帽子形城を訪ねました。
天正10年(1582年)、伊地知文太夫をはじめ、多くの武将がキリシタンになります。
烏帽子形城周辺ではキリスト教が奨励され、キリシタンの数は300人にものぼりました。
大聖堂の建設が計画され、建設が始まります。
その後、烏帽子形城は岸和田城の支城となり、岸和田城主・中村一氏が改修しました。
豊臣秀吉の紀州攻めの拠点となる
天正12年(1584年)、烏帽子形城は豊臣秀吉による紀州攻めの拠点となります。
天正15年(1587年)のバテレン追放令により、烏帽子形城周辺のキリシタンは追放され、大聖堂も破壊されました。
城主、民を失った烏帽子形城。
烏帽子形城はその後使用されることがありませんでした。
江戸時代
徳川家康が豊臣家を滅亡させた大坂の陣。
大坂城の他、大阪府南東部に位置する河内国でも戦が行われました。
幕府軍にとって、河内国は慣れない土地。
河内国を出自の地とする甲斐庄正房は幕府軍に道案内をしました。
慶長17年(1612年)、功績を称えられた甲斐庄正房は、
① 河内国錦部郡2000石
② 烏帽子形城
を与えられました。
バテレン追放令により城主を失った烏帽子形城は荒廃していました。
残念ながら、甲斐庄正房には烏帽子形城を修築する金銭的余裕がありません。
元和3年(1617年)、烏帽子形城は廃城となりました。
つまり、現在の烏帽子形城の姿は400年以上も前のものなんですね。
ところで、烏帽子形城には、烏帽子形八幡神社がありました。
烏帽子形八幡神社は文明12年(1480年)に石川八郎左衛門尉の建立した神社。
烏帽子形城同様、烏帽子形八幡神社も既に荒廃していました。
甲斐庄正房の子・甲斐症正保は「烏帽子形八幡神社だけでも残したい」と思いました。
そこで、四天王寺の修復に使った資材の余りで烏帽子形八幡神社を改築しました。
まとめ:烏帽子形城は数々の戦を見届けていた!
烏帽子形城の歴史を時代別に紹介しました。
平安時代から江戸時代まで、烏帽子形城は数多くの戦の舞台となりました。
烏帽子形城は有名な城ではありませんが、ゆかりのある武将を知ると身近に感じられるのではないでしょうか。
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