楠木正成が千早城の戦いで鎌倉幕府軍を苦しめた奇策とは?

赤坂城の戦いで次々と奇策を講じて、鎌倉幕府軍を苦した楠木正成。

後醍醐天皇が勢力を盛り返すきっかけになった千早城の戦いでも、楠木正成の奇策がさく裂しました。

千早城の戦いの概要、楠木正成がとった奇策を紹介します。

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千早城の戦いとは?

千早城の戦いとは、元弘3年(1333年)2月27日から5月10日にかけて、楠木正成と鎌倉幕府の間で勃発した戦いを指します。

楠木正成は、
・上赤坂城(本城)
・下赤坂城(その前衛の城)
をもっていましたが、赤坂城の詰めの城(最終拠点)として千早城を築きました。
千早城が舞台となったため、千早城の戦いと呼ばれます。

楠木軍の兵力1000人に対し、幕府軍の兵力は2万5000人。
圧倒的な兵力の差があるにも関わらず、戦は2ヶ月以上にも及びました。

楠木正成が鎌倉幕府軍を苦しめた奇策とは?

① 上赤坂城
② 吉野城(護良親王の拠点)
を陥落させた幕府軍は合流して、2万5000人で千早城を包囲します。

まさに勢いに乗っていた幕府軍は、千早城を一気に攻め落とすつもりでした。
ところが、楠木正成の奇策により、幕府軍は苦戦を強いられることになります。

大石を投げ落として盾を破壊した

千早城を一気に攻め落とすつもりだった幕府軍は城を取り囲みます。

すると、楠木正成は櫓から大石を投げ落とし、幕府軍の盾を破壊。
盾を失い退却する兵に弓矢を放ち、幕府軍に大きな損害を与えました。

参戦していた長崎高貞は被害を確認するのに丸3日間かかったといわれています。
そのため、始まったばかりの戦いはしばらく休戦状態になりました。

旗を奪って挑発した

前哨戦である上赤坂城の戦いで、水源を断って勝利した幕府軍。

水源を断てば、千早城も攻略できるのではないか。
吉河八郎の提案により、幕府軍は名越時見に命じて水辺に陣を構え、水を補給する楠木軍を待ちました。

でも、楠木軍はいっこうにやってきません。
楠木正成は幕府軍が上赤坂城の戦いで勝利した策(水源を断つ)を採用すると予想していたからです。

楠木正成は城内に水と食糧を予め蓄えていたため、補給しに城外へ出る必要がありませんでした。

楠木軍を待っていた幕府軍はやがて気が緩み始めます。

すると、楠木正成は幕府軍を夜襲。
水辺に陣を構えていた幕府軍は旗と大幕を捨てて、元の陣まで退却しました。

翌日、楠木正成は城内に名越軍の旗と大幕を掲げて挑発。

おゆう
おゆう

幕府軍が捨てた旗と大幕を奪い、城に持ち帰っていたんです。

名越時見に同情しながらも、幕府軍は「楠木正成の挑発に乗ってはいけない」と注意していました。
でも、名越時見を含む名越一族は怒りを抑えきれず、城に突撃します。

すると、楠木正成は城内から大木を落としました。
大木を避ける兵には弓矢を放ち、幕府軍に更なる損害を与えました。

わら人形を兵に見立てた

楠木正成の奇策にうんざりした幕府軍は、城の包囲に徹底し、兵糧攻めすることにしました。
すると、戦は膠着状態に。

何もしかけてこない楠木軍に安心したのか、
・連歌会を開く
・碁や双六を楽しむ
など、幕府軍はのんびり気ままに過ごすようになりました。

幕府軍が油断した今こそチャンス。

楠木正成はわら人形を作り、わら人形に甲冑を着せ、弓や槍を持たせました。
そして、わら人形を城外に並べ、楠木軍は一斉に大声をあげました。

驚いた幕府軍は楠木軍が一気に攻めかかってくるものだと焦り、わら人形を兵だと勘違いして突撃。
楠木軍は城内から大石を落として、幕府軍に損害を与えました。

坊っちゃん
坊っちゃん

何をしてもうまくいかない幕府軍は更に消極的になります。

暇をもて余した幕府軍は、遊女を呼び寄せたり、サイコロを振ったりして遊び始めました。

橋に火をつけた

鎌倉幕府は吉報が届かないことに怒り、一刻も早く千早城を攻略するように命じます。

そこで、幕府軍は近くの山から城壁に橋を掛けて、城内に侵入する作戦に出ます。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

これまで城内から、
・大石を投げ落とされる
・大木を落とされる
などしてきた幕府軍。
楠木軍と同じ高い位置に立てば、積極的に攻撃できると考えたんです。

幕府軍はわざわざ大工を呼び寄せ、橋を作らせました。

橋が完成すると、5000人の兵が橋を渡りました。
でも、幕府軍が橋を作っていたこと、橋を渡ることに、楠木正成が気付かないわけがありません。

楠木正成は油を橋に注ぎ、火をつけました。

幕府軍は退却しようとしますが、5000人もの兵が橋を渡っていて、後ろに下がれる状況ではありません。
だからといって、山と城壁を繋いだ橋から飛び降りたら、命は助からないかもしれません。

大きな火に耐え切れず、橋は真ん中で折れ、兵は橋と共に落ちていきました。

幕府軍が千早城に釘付けになっている間に、
① 後醍醐天皇が隠岐国から脱出
② 足利尊氏が寝返って六波羅探題を攻略
③ 新田義貞が幕府を攻撃
するなど、事態は急変。

幕府軍が千早城をなかなか落とせないこともあって、幕府の権威は既に失墜していました。
退却の機会を失うと、途中野伏から襲撃されるかもしれません。

一報を受けた幕府軍は千早城からすぐ撤退し、楠木正成の勝利をもって、千早城の戦いは終結しました。

まとめ:楠木正成は少数で多勢を引きつけた!

千早城の戦いの概要、楠木正成がとった奇策を紹介しました。

足利尊氏が六波羅探題を攻略して3日後に終わった千早城の戦い。
千早城が早々に陥落していたら、鎌倉幕府の滅亡は遅れていたかもしれませんね。

楠木正成は大河ドラマ「太平記」に登場しています。

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