【宋】武帝(劉裕)の甥・劉義慶が編纂した世説新語と幽明録

世界史の参考書では、中国の史書の紹介が目立ちますが、今から1500年以上前に小説が存在しました。

武帝劉裕)の甥・劉義慶が編纂した世説新語幽明録を紹介します。

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劉義慶ってどんな人?

劉義慶は403年生まれで、徐州(江蘇省徐州市)の出身。

宋の初代皇帝・武帝(劉裕)の異母弟・劉道憐の次男です。

幼い頃から叔父である武帝に可愛がられて育ち、415年、武帝の末の異母弟・劉道規を継いで、南郡公に封じられました。

この後、以下のように、劉義慶は様々な官職を歴任します。

416年 劉裕と共に北伐に出て功績を上げ、輔国将軍・北青州(山東省濰坊市)刺史に任命される
都督豫州諸軍事・豫州(河南省洛陽市)刺史に任命され、都督淮北諸軍事を兼任する
420年 臨川王に封じられる
都・建康に呼び戻され、侍中に任命される
424年 散騎常侍・秘書監に任命される
度支尚書に任命され、丹陽尹となる
429年 尚書左僕射に任命される
431年 中書令に任命され、前将軍の号を授けられる
432年 使持節・都督荊雍益寧梁南北秦七州諸軍事・平西将軍・荊州刺史に任命される
439年 散騎常侍・都督江州豫州之西陽晋熙新蔡三郡諸軍事・衛将軍・江州刺史に任命される
440年 都督南兗徐兗青冀幽六州諸軍事・南兗州刺史に任命される
441年 開府儀同三司の位を授けられる

その後、劉義慶は病を患い、都に戻りたいと申し出ました。
文帝は劉義慶の申し出を受け入れ、劉義慶を都に呼び戻しました。

444年、劉義慶は42歳で亡くなり、侍中・司空を追贈されました。

劉義慶は太子舎人・王僧達の素行を怪しみ、使者を派遣して、王僧達を監視させました。
ところが、王僧達は使者を言いくるめるほどの切れ者。王僧達を気に入った劉義慶は娘・劉氏を王僧達に嫁がせました。

編纂した世説新語と幽明録

劉義慶は42歳の若さで亡くなりましたが、劉義慶は世説新語や幽明録などの有名な小説を残しました。

世説新語

世説新語とは、441年、当時38歳だった劉義慶が編纂を開始した文言小説です。

後漢末期から長年にわたって人物の評論が行われ、後漢末から東晋にかけて存在した著名人の逸話を一冊にまとめることになりました。
世説新語は36篇にも及び、徳行、言語、政事、文学などのジャンルに分類されました。

おゆう
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史実にある程度基づいて編纂されていますが、文言小説の文字どおり、人々は小説として楽しみました。

史実に忠実ではありませんが、著名人の言動や考えを知ることで、世相を把握できる貴重な書物だとされています。

中国で大人気となった世説新語は、宋以降も出版され続け、江戸時代に、日本に紹介されて、日本国内でも出版されました。

幽明録

幽明録とは、劉義慶が編纂した志怪小説です。
宋で流行した奇怪な話をまとめた短編小説が掲載されています。

おゆう
おゆう

世説新語に比べて、聞き慣れないタイトルですが、幽明録は意外と身近。

せなけいこさんの「はらぺこゆうれい」は幽明録に掲載されている「新死鬼」を元に描かれています。

まとめ

武帝劉裕)の甥・劉義慶が編纂した世説新語幽明録を紹介しました。

武帝をはじめ、武勇に長けた皇族が多い中、劉義慶は文学にも長けていました。
劉義慶が編纂した世説新語は時代を超えて親しまれ、やがて、日本にも伝わりました。
また、幽明録に掲載されている「新死鬼」は、日本で絵本化しました。

今から1500年以上も前に編纂された小説が、日本でも親しまれていると考えると、劉義慶に親近感がわきますね。

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