【唐】和蕃公主、仮制公主と真制公主の違いと歴史的意義

十六国時代、南北朝時代、隋王朝、唐王朝と、長い歴史をもつ中国にはいくつもの王朝が存在しますが、どの時代も、中国は近隣諸国との争いに悩まされていました。

近隣諸国と和平を保つために、中国から送り込まれたのが和蕃公主です。
和蕃公主とは、どのような公主なのでしょうか。

唐王朝を参考に、和蕃公主、仮制公主と真制公主の違いと歴史的意義を紹介します。

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和蕃公主とは?

公主とは中国の皇帝の娘を指します。
日本語でいう姫、英語でいうプリンセスです。

皇帝の娘といっても、実子とは限りません。
迎えられた養女も、戸籍上は娘になるので、公主に該当します。

また、和蕃とは蕃国(外国)と和親することを指します。

つまり、和蕃公主とは、蕃国と和親するために嫁ぐ公主を指します。

おゆう
おゆう

中には、蕃国の王に恋をして嫁いだ公主もいるかもしれませんが、公主のほとんどが全く知らない蕃国の王に嫁ぎました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

当時はインターネットなんてありません。
嫁ぐ前に入手できる情報は出身や地位ぐらいでした。

仮制公主と真制公主の違い

和蕃公主には、仮制公主と真制公主の2種類があります。

仮制公主

紹介したように、公主は中国の皇帝の娘であり、実子であっても、養女であっても、公主であることに変わりはありません。

でも、実子と養女を区別するため、娘として迎えた養女を仮制公主と呼んでいました。

皇帝が公主として養女を迎える場合、2つのケースがありました。

1つ目は、才能があるのに、女の子が恵まれない環境に置かれていたケースです。
音楽や踊り、詩文に長けていても、生活が貧しければ、その才能を発揮する機会を得られません。
また、才能を磨く機会も得られません。
皇帝が「才能が惜しい」と判断した場合、皇帝が自分の娘として養女に迎えることがありました。

2つ目は、実子を蕃国に嫁がせたくないケースです。
蕃国は対立してきた国、今後対立する可能性が高い国であることがほとんど。
蕃国に嫁いだ公主は命を保証されません。
蕃国に実子を嫁がせるのが惜しい皇帝は、実子の代わりに嫁がせるために、養女を迎えることがありました。

真制公主

皇帝の実子を真制公主と呼んでいました。

真制公主が蕃国に嫁いだのは、安史の乱の勃発以降です。

というのも、唐の第2代皇帝・太宗、第3代皇帝・高宗、第9代皇帝・玄宗の活躍によって、唐は強国となりました。
でも、安史の乱が勃発した後、唐は自国の軍事力では反乱を鎮圧できず、権威を失墜させてしまいました。

唐と和睦を深めたくて、公主の降嫁を要求していた蕃国。
安史の乱が勃発する前は、仮制公主でも、真制公主でも、公主が降嫁してくれればOKでした。
でも、唐の権威が失墜すると、唐と和睦を深めるメリットがなくなり、真制公主の降嫁を求めるようになりました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

どうして、真制公主が良かったの?

真制公主は皇帝の実子。
仮制公主に比べて、降嫁する時の持参金が高かったんです。
真制公主の持参金は嫁ぎ先の蕃国のものになります。

つまり、蕃国はお金目当てで、真制公主の降嫁を求めるようになったんですね。

和蕃公主には大きな使命があります。
蕃国に嫁いで終わりではありません。
蕃国の王の心を掴み、信頼されなければいけません。
教養がなく、礼儀作法を知らない公主を嫁がせると、唐が恥をかくことはもちろん、蕃国との関係が悪化してしまいます。そのため、和蕃公主には、教養、礼儀作法、容姿といった資質が求められました。

甘やかされた育った実子より、適度に厳しい環境で育ち、教育を受けた養女が適していたともいわれています。

和蕃公主の歴史的意義

和睦のため、持参金を手に入れるためといった政略結婚ともいえる公主の降嫁。
和蕃公主の降嫁は、唐と蕃国に何をもたらしたのでしょうか。

文化交流

和蕃公主の降嫁は、今でいう国際結婚。
公主を通じて、唐の文化が蕃国に伝わり、唐の文化に憧れた蕃国は、自国に積極的に取り入れました。

例えば、640年に吐蕃に嫁いだ文成公主は、嫁いだ初日から吐蕃で大人気となりました。
文成公主は仏教を熱心に進行していたため、吐蕃に仏教がそれまで以上に浸透しました。

関係改善

紹介したように、公主の降嫁の目的の一つは和睦です。

吐蕃に嫁いだ文成公主は、唐と吐蕃の関係改善に、吐谷渾に嫁いだ弘化公主は、唐と吐谷渾の関係改善に努めました。

ある時、吐蕃と吐谷渾が争い、両国が唐に援軍を求める事態が起きました。
高宗は両国に援軍を送らず、中立を保ちました。結果、吐谷渾は吐蕃に敗北し、吸収されてしまいましたが、唐は吐蕃からも吐谷渾からも攻められることはありませんでした。
公主を吐蕃、吐谷渾に嫁がせていなければ、唐は両国から攻められていたかもしれません。

まとめ

唐王朝を参考に、和蕃公主、仮制公主と真制公主の違いと歴史的意義を紹介しました。

和蕃公主とは、蕃国(外国)と和親ために嫁ぐ公主を指します。

和蕃公主には、仮制公主と真制公主の2種類があり、養女を仮制公主、実子を真制公主と呼んでいました。

安史の乱が勃発する前は、仮制公主の降嫁が求められましたが、勃発した後は、真制公主の降嫁が求められました。
これは、唐の権威が失墜し、蕃国の目的が、唐と和睦を深めることから持参金に変わったことを表します。

和蕃公主の降嫁により、唐と蕃国の文化交流、関係改善が進みました。

教科書には、唐がいかに強い国だったか、皇帝がいかに優れていたかしか書かれていません。
唐が強国となった背景には、和蕃公主の努力があったことを忘れてはいけませんね。

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