【唐】順宗(李誦)ってどんな人?永貞の革新とは?

唐の第13代皇帝・順宗。
順宗は言語障害を抱えながらも、永貞の革新と呼ばれる政治改革を行った皇帝です。

順宗はどのような人物なのでしょうか。
永貞の革新とは、どのような政治改革なのでしょうか。

順宗の生涯と永貞の革新を紹介します。

スポンサーリンク

順宗ってどんな人?

順宗は761年生まれで、隴西郡狄道県(甘粛省定西市)の出身。


名前は李誦(りしょう)といって、唐の第12代皇帝・徳宗と王皇后の間に、第1皇子として誕生しました。

779年、徳宗が皇帝に即位すると、李誦は皇太子となり、805年に徳宗が崩御すると、順宗として皇帝に即位しました。

徳宗の治世は26年にも及び、唐にとって久しぶりの代替わりでした。

44歳で皇帝になった順宗は、即位してすぐに脳出血を起こし、後遺症として言語障害が残ってしまいました。
でも、後遺症に負けることなく、順宗は永貞の革新と呼ばれる政治改革を行いました。

永貞の革新は当初順調に進んでいましたが、急速に進む改革についていくことができない者、不満を抱く者が現れ、即位して6ヶ月が経った頃、宦官・倶文珍が順宗に譲位を迫りました。

即位後わずか7ヶ月で、順宗は第1皇子・李純に譲位し、太上皇となりました。

翌年、806年、46歳で崩御しましたが、順宗は病死した、もしくは、宦官によって暗殺されたと考えられていて、死因は明らかになっていません。

永貞の革新とは?

紹介したように、永貞の革新とは順宗が行った政治改革を指します。

当時の元号・永貞にちなんで、永貞の革新と名付けられました。

順宗が行った永貞の革新の目的は、唐の第9代皇帝・玄宗の治世までの朝廷を取り戻すこと。

第10代皇帝・粛宗の治世以降、宦官が大きな権力を握り、朝廷を牛耳っていました。
そのため、順宗は宦官を排除し、政権を奪還したいと思っていました。

そこで、順宗は自分の師である王叔文(おうしゅくぶん)と王任(おうにん)に相談し、二人を改革のリーダーとすることにしました。

坊っちゃん
坊っちゃん

王叔文と王任は皇太子時代の家庭教師でした。

王叔文を翰林学士兼起居舎人に任命し、王任を散騎常侍兼翰林待召に任命しました。

翰林学士や翰林待召、起居舎人は、詔勅の草案を作る役職です。
散騎常侍は詔勅や皇帝の命令を伝達する役職です。

王叔文は以前から親交のあった科挙の進士科出身の柳宗元(りゅうそうげん)や劉禹錫(りゅううしゃく)を誘いました。

最初に行われた政治改革は宦官の給与削減です。
給与を削減して、宦官の権力を抑制しました。

その他、次のような改革に踏み切りました。
① 優秀な官吏の登用
② 税の厳しい取り立ての禁止、不当な借金の帳消し
③ 不当な税の廃止
④ 90歳以上の民には、米、絹、綿、羊、酒を授与、90歳以上の民に「上佐郡県」、100歳以上の民に「剌史郡県」という官職を授与
⑤ 宮市の廃止
宮市とは、宦官や貴族のために宮中で開かれる市場です。
宮市で売られる品物は、民から無料で徴収した物でした。

また、国家財政を管理する度支及諸道塩鉄転運使に、両税法を運用したことのある杜祐(とゆう)を任命し、右金吾大将軍・苑希朝(えんきちょう)を検校右僕射兼左右神策・京西諸城鎮行営兵馬節度使に任命。

財政管理、軍事管理を、宦官以外の官吏で担当しました。

残る改革は、各地に散らばる藩鎮の勢力を削減するだけとなりました。

おゆう
おゆう

ところが、窮地に追い込まれた宦官・倶文珍と藩鎮・車皐が手を組んでしまいます。

倶文珍は順宗に言語障害が残っていることを理由に、譲位を迫りました。

また、王叔文の母が体調を崩し、故郷に帰らざるを得なくなったタイミングを見計らって、皇太子・李純を憲宗として即位させました。

憲宗が皇帝になると、革新を行っていたメンバーは順宗の支援を受けられなくなりました。

それどころか、冤罪を被せられ、王叔文は瀧州(広東省羅定市)司戸に左遷された後に自害を命じられました。
王任は開州(重慶市)司馬に左遷されました。
王叔文に誘われた柳宗元は連州(広東省清遠市)刺史に、劉禹錫は邵州(山西省運城市)刺史に左遷されました。

こうして、成果が実らないまま、順宗の退位と同時に、永貞の革新は終わりを迎えてしまいました。

まとめ

順宗の生涯と永貞の革新を紹介しました。

順宗は言語障害という後遺症を抱えながらも、朝廷から宦官を排除して、政権を奪還しようと、永貞の革新と呼ばれる政治改革を行いました。

残念ながら、政治改革の成果は実りませんでしたが、朝廷を牛耳る宦官に立ち向かおうとした順宗の姿は、この後衰退していく唐に小さな希望を見せたのではないでしょうか。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ

タイトルとURLをコピーしました