【唐】則天武后と玄宗(李隆基)の関係、楊貴妃との意外な共通点

唐の時代を代表する則天武后と第9代皇帝・玄宗。

則天武后と玄宗の二人の関係をご存じでしょうか。
また、則天武后と玄宗の側室・楊貴妃には、意外な共通点があることをご存じでしょうか。

則天武后と玄宗の関係、則天武后と楊貴妃の意外な共通点を紹介します。

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則天武后と玄宗の関係

則天武后と玄宗の関係をみていきましょう。

玄宗は則天武后の孫だった

唐の第9代皇帝・玄宗は唐の第5代皇帝・睿宗の子どもで、睿宗は高宗と則天武后の子どもです。
つまり、則天武后にとって、玄宗はにあたります。

睿宗は則天武后の傀儡で、名ばかりの皇帝でしたが、玄宗はプライドが高い皇帝でした。

おゆう
おゆう

自分に挨拶しなかった高官に刃向かったという幼少期のエピソードがあるほどです。

則天武后が才能を見出し登用した姚崇宋璟は、玄宗のもとで宰相に抜擢され大活躍しました。

玄宗が開元の治と呼ばれる唐の全盛期を築き上げることができたのは、姚崇と宋璟の二人がいたからこそだといわれています。

玄宗は則天武后の親戚を寵愛した

玄宗には30人もの后妃がいましたが、その中に、武恵妃という皇妃がいました。

おゆう
おゆう

武恵妃の姓を見てピンときた方もいらっしゃるかもしれません。

武恵妃は則天武后の従兄弟・武懐運の孫で、則天武后の親戚にあたります。

武恵妃は玄宗との間に7人の子どもを授かった後、40代の若さで病死しました。
武恵妃を失い悲しみに暮れる玄宗のもとにやってきたのが、34歳も年下の楊貴妃でした。

則天武后と楊貴妃の意外な共通点

則天武后と楊貴妃の共通点は、親子に嫁いでいることです。
詳しくみていきましょう。

則天武后は夫・高宗の父・太宗の側室だった

唐の第3代皇帝・高宗の妻として有名な則天武后ですが、実は、第2代皇帝・太宗の側室でもありました。

太宗の妻・長孫皇后が亡くなった後、たくさんの子女と共に、則天武后は宮廷入りしました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

目鼻立ちの整った則天武后は太宗の目に留まって寵愛を受けましたが、則天武后に関する悪い噂があり、その噂を信じた太宗は則天武后を遠ざけてしまいました。

太宗との間に子どもを授からなかった則天武后は、太宗が崩御した後に出家しましたが、則天武后に想いを寄せていた高宗が再び宮廷に呼び戻しました。

その後、王皇后や蕭淑妃などのライバルを蹴落として、則天武后は高宗の妻になりました。

楊貴妃は玄宗の子・李瑁の妻だった

紹介したように、玄宗は則天武后の親戚である武恵妃を寵愛していましたが、武恵妃は若くして病死しました。

武恵妃を失った寂しさを埋めるため、玄宗は楊貴妃を側室に迎えましたが、実は、楊貴妃は人妻。

楊貴妃の夫は、玄宗の第18子・李瑁で、李瑁は武恵妃の第4でした。

おゆう
おゆう

玄宗は自分の子どもから妻を奪ったんですね。

楊貴妃は皇后ではなく側室でしたが、皇后と同等、もしくはそれ以上の待遇を受けました。 

まとめ

則天武后と玄宗の関係、則天武后と楊貴妃の意外な共通点を紹介しました。

唐の第9代皇帝・玄宗は則天武后の孫で、則天武后が登用した姚崇や宋璟は玄宗のもとでも大活躍し、開元の治と呼ばれる唐の全盛期を築き上げました。
また、楊貴妃を迎える前、玄宗は則天武后の親戚である武恵妃を寵愛しました。

則天武后と楊貴妃の共通点は親子に嫁いだこと。
則天武后は夫・高宗の妻になる前、高宗の父・太宗の側室でした。
楊貴妃は玄宗の側室になる前、玄宗の子・李瑁の妻の妻でした。

親子に嫁いだ則天武后と楊貴妃。
性格や生涯が全く異なるだけに意外な共通点と言えるのではないでしょうか。

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