向羽黒山城の見どころとアクセス、熊出没情報

鶴ヶ城(会津若松城)と同じ会津に存在したがゆえに、鶴ヶ城の陰に隠れてしまいがちな向羽黒山城跡。
実は、向羽黒山城跡は東北最大級の山城跡で、外国人観光客も注目する観光スポットです。

向羽黒山城跡見どころアクセス熊出没情報を紹介します。

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向羽黒山城跡とは?

向羽黒山城は福島県大沼郡会津美里町にあった東北最大級の山城です。

阿賀川の西に位置する、
① 観音山
② 羽黒山
③ 岩崎山
から構成される白鳳三山のうち、岩崎山全域と羽黒山の一部に位置します。

向羽黒山城の初代城主は、蘆名氏第16代当主蘆名盛氏。
永禄4年(1561年)、蘆名盛氏が長男・蘆名盛興に家督を譲って隠居するために、向羽黒山城を築城しました。

おゆう
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つまり、向羽黒山城は隠居した蘆名盛氏の邸宅だったんです。

永禄11年(1568年)に羽黒山城が完成しますが、そのわずか7年後の天正2年(1574年)に蘆名盛興が亡くなります。

蘆名盛興の死には、お酒の飲み過ぎが関係しているといわれています。

蘆名盛興の酒癖を気にしていた蘆名盛氏は、2度にわたって酒造禁止令を出しました。
ところが、残念ながら、蘆名盛興は27歳の若さで亡くなってしまいました。

蘆名盛興に息子がいなかったため、蘆名氏第18代当主となったのは、蘆名盛氏の養子・蘆名盛隆。

蘆名盛隆は当時13歳で、補佐が必要でした。
蘆名盛氏は向羽黒山城を離れ、蘆名氏が政治を行っていた黒川城に戻ります。

そのため、主を失った向羽黒山城は廃城となりました。

ただ、
① 伊達政宗が向羽黒山城に足を運んだ記録があること
② 平城が人気だった戦国時代末期に、向羽黒山城が発展したこと
が判っています。そのため、蒲生氏郷が会津に入った時代も、向羽黒山城は機能していたと考えられています。

山城跡の特徴といえば、
・木や草が生い茂っている
・道はあってないようなもの
で、城が本当に存在したのかと疑問に感じるほど保存状態の悪い山城跡が多いです。

でも、向羽黒山城跡は保存状態が良く、東北地方の山城の特徴や築城技術を解明するための有力な手掛かりが残されているといわれています。

向羽黒山城跡の見どころ

山城跡というと 平城に比べて地味な印象がありませんか?
でも、向羽黒山城跡には、大人も子どもも楽しめる見どころがたくさんあります。

向羽黒山城整備資料室

向羽黒山城跡を楽しむにあたって、必ず足を運びたいのが向羽黒山城跡整備資料室です。

続100名城のスタンプ設置箇所

向羽黒山城は続100名城に認定されたお城。
向羽黒山城の続100名城のスタンプ設置箇所は向羽黒山城跡整備資料室です。

2023年現在、向羽黒山城跡整備資料室の玄関入口(外)にスタンプが設置されています。

向羽黒山城跡整備資料室の開館時間は午前10時から午後2時まで。

開館時間内に向羽黒山城跡整備資料室に足を運ぶのが理想的。
でも、もし、開館時間内に足を運ぶことができなくても、スタンプを押すことができます。

資料室

向羽黒山城跡整備資料室は資料室が2つしかない小さな施設です。

① 入口から見て左にある資料室には、向羽黒山城にゆかりのある人物
② 右にある資料室には、向羽黒山城跡の概要、発掘調査の記録
が展示されています。

向羽黒山城跡を巡る前に、サラッと目を通しておきましょう。

親切なスタッフさん

向羽黒山城跡整備資料室には、親切なスタッフさんがいます。

質問すれば、私達が知りたかったことを答えてくれるとても物知りなスタッフさんです。
一方で、一人で回りたいというお客様には、スタッフさんはあえて声をかけないようにしているそうです。

お客様のニーズをくみ取って、接し方を工夫してくれるので、気軽に入ることができます。

おゆう
おゆう

・鶴ヶ城(会津若松城)の鬼瓦が壊れやすかった理由
・会津のお米が美味しい秘密
など、向羽黒山城に関すること以外にも、いろいろ教えてもらいました!

お茶屋場跡

向羽黒山城跡一帯は道路が舗装され、白鳳山遊歩道になっています。
そのため、ドライブはもちろん、歩いたり、自転車を漕いだりして楽しむことができます。

遊歩道の丁度中間地点にあるお茶屋場跡には、蘆名盛氏が景色を楽しみながらお茶を飲んだといわれる東屋があります。

お茶屋場跡からは磐梯山と鶴ヶ城を見ることができます。
磐梯山と鶴ヶ城をバックに写真撮影するのもいいですね。

フィールドアスレチック

向羽黒山城跡整備資料室から少し登ると、フィールドアスレチックがあります。

子どもはもちろん、大人も楽しめる本格的なアスレチックです。

夏は暑いかもしれませんが、木の葉っぱが日光を遮り、木の隙間から涼しい風が吹きます。
熱中症に注意して、身体を動かしましょう。

本丸跡、二の丸跡、三の丸跡などの史跡

紹介したように、向羽黒山城跡は保存状態の良い山城跡。
手入れされているため、堀を歩くこともできます。

また、城跡の状況が分かりやすいよう、どこに何があったかを示した看板が設置されています。

白鳳山遊歩道の散策所要時間は徒歩で4時間、5時間程度。
時間に余裕のある方、体力に自信のある方は是非、史跡を巡ってみてはいかがでしょうか。

向羽黒山城跡(向羽黒山城整備資料室)のアクセス

【住所】
福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町3208-5
※無料駐車場有。
【電話番号】
0242-55-0344(会津美里町教育委員会教育文化課文化係)
【営業時間】
10:00から14:00
※4月中旬から12月上旬の土曜日・日曜日・祝日のみ開館。

向羽黒山城跡は会津美里町インフォメーションセンターの道路を挟んで向かいにあります。
最寄駅はJR只見線「会津本郷駅」で、歩いて20分程度の距離です。

おゆう
おゆう

車で向かう場合には、
① 会津美里町インフォメーションセンター
② 向羽黒山城整備資料室
の駐車場に停めて散策するのが便利。

向羽黒山城跡(白鳳山)内にも、駐車場が6箇所あるので、車から降りて興味のある場所だけを散策することもできます。

向羽黒山城跡の熊出没情報

春から秋にかけて、会津美里町では熊の出没情報が寄せられています。

2023年は7月4日から7月14日までの10日間、向羽黒山城跡に入ることができませんでした。

向羽黒山城跡整備資料室のスタッフさんは、

木はたくさんあるものの、草刈りがされて見通しがいいため、熊はめったに現れない。

と言っていました。

ただ、会津美里町インフォメーションセンターのスタッフさんは、

熊や蜂に遭う可能性もないとは言い切れない。

と言っていました。

向羽黒山城跡を散策する場合には、
① 会津美里町のホームページを見て、熊の出没情報をチェックする
② 熊鈴を用意する
など、準備をしっかり整えておきましょう。

まとめ:向羽黒山城跡は史跡もアスレチックも景色も楽しめる!

向羽黒山城跡見どころアクセス熊出没情報を紹介しました。

地味な印象の山城とは異なり、大人も子供も楽しめるよう整備された向羽黒山城跡。
アスレチックで身体を動かしつつ、史跡を巡って、蘆名盛氏の隠居生活を想像してみてはいかがでしょうか。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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