楠木正成に兵法を教えた大江時親は安芸毛利氏の祖!

楠木正成をはじめ、河内国の豪族に兵法を教えた大江時親。
大江時親は三本の矢の教えを説いた毛利元就、豊臣政権下で五大老を務めた毛利輝元を輩出した安芸毛利氏の祖だといわれています。

楠木正成兵法を教えた大江時親の生涯
② 大江時親が安芸毛利氏の祖である理由
を紹介します。

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楠木正成に兵法を教えた大江時親

大江時親は毛利経光の四男として誕生しました。

大江時親は毛利氏第3代目当主・毛利時親と同一人物でないかと考えられていますが、
① 邸宅跡が「伝大江時親邸跡」と呼ばれていること
② 邸宅跡付近に「大江修理亮時親遺跡碑」が建てられていること
から、こちらでは「大江時親」と記載します。

生まれ年は判っていませんが、
① 長兄・毛利基親が建長2年(1250年)生まれである
② 毛利基親と大江時親の間に二人の兄がいる
ことから、大江時親の生まれ年は建長5年(1253年)以降だと考えられます。

大江時親は平安時代後期に活躍した歌人・大江匡房の子孫にあたります。

文永7年(1270年)、毛利経光から安芸国吉田荘(広島県安芸高田市)の地頭職を受け継ぎます。
その後、六波羅評定衆を務め、在京料所として与えられた河内国加賀田郷に邸宅を構えました。

評定衆とは、行政、司法、立法の全てを行う幕府の最高政務機関です。

加賀田郷河内国に構えた邸宅で、大江時親は周辺の豪族に兵法(闘戦経)を教えました。
その中には、鎌倉幕府の倒幕に大きく貢献した楠木正成もいたといわれています。

元徳2年(1330年)、安芸国吉田荘の地頭職を孫・毛利親衡に譲ります。
元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡すると、毛利時親は隠居しました。

ところが、南北朝の争乱が勃発。

長男・毛利貞親、孫・毛利親衡は南朝に味方します。
でも、北朝が優勢になり、毛利親衡は安芸国吉田荘の地頭職を解任されてしまいました。

すると、大江時親は曾孫・毛利元春を足利尊氏に送り、北朝に取り入ります。

建武3年(1336年)には、毛利貞親と毛利親衡を北朝に帰順させ、二人と共に安芸国吉田荘に移り住みました。

翌年、建武4年(1337年)には、毛利元春に安芸国吉田荘の地頭職を譲り、安芸国における毛利氏の勢力を維持しました。
暦応4年(1341年)、大江時親は役目を終えたようにこの世を去りました。

大江時親は安芸毛利氏の祖!

紹介したように、大江時親は毛利時親と同一人物ではないかと考えられています。

大江時親は広島県安芸高田市吉田町にある毛利氏歴代墓所に埋葬されています。

毛利氏を名乗り始めたのは、大江時親の祖父・毛利季光です。
毛利季光の父、つまり、大江時親の曾祖父である大江広元は朝廷に仕える下級貴族で、紀伝道(中国の史書や詩文)を教えていました。

ところが、兄が源頼朝に仕えると、大江広元も京都を離れて鎌倉に移ります。
鎌倉幕府政所別当に任命され、大江広元は鎌倉幕府の創設、安定に大きく貢献しました。

大江広元のアドバイスを受けて、源頼朝は守護・地頭を設置したといわれています。

また、元々朝廷に仕えていた経歴を活かし、大江広元は幕府と朝廷の交渉役を務めました。

功績を称えられた大江広元は、
① 相模国毛利荘(神奈川県厚木市)
② 出羽国寒河江荘(山形県寒河江市)
③ 上野国那波荘(神奈川県伊勢崎市)
④ 越後国佐橋荘(新潟県柏崎市)
などの所領を与えられました。

大江広元の四男・毛利季光は所領・相模国毛利荘と越後国佐橋荘を相続。
毛利荘に移って毛利姓を名乗りました。
その後、承久3年(1221年)の承久の乱で武功をあげ、安芸国吉田荘を与えられました。

ところが、宝治元年(1247年)の宝治合戦で、毛利季光は広光、光正、泰光、師雄の4人の子どもと共に討死。
偶然、越後国に留まっていた四男・毛利経光だけが生き残ります。

毛利経光は越後国佐橋荘、安芸国吉田荘を相続し、
① 長男・毛利基親に越後国佐橋荘
② 四男・大江時親(毛利時親)に安芸国吉田荘
を継がせました。

紹介したように、晩年、大江時親は子孫と共に安芸国吉田荘に移り住み、毛利氏の勢力を維持しました。

① 毛利氏を名乗り始めた祖父・毛利季光は毛利氏初代
② 父・毛利経光は毛利氏第2代目当主
に続き、大江時親は毛利氏第3代目当主にあたります。

子孫をたどると、毛利氏第12代目当主は毛利元就、第14代目当主は毛利輝元です。
毛利氏の名前に「元」が用いられているのは、大江広元から頂戴したといわれています。

まとめ:大江時親の教えは時代を超えて活かされていた!

楠木正成兵法を教えた大江時親の生涯
② 大江時親が安芸毛利氏の祖である理由
を紹介しました。

戦国時代には中国地方に10ヶ国を、江戸時代には長州藩主として長門国、周防国を領し、明治時代以降には華族となった毛利氏。
毛利氏の繁栄には、大江時親の説いた闘戦経が影響しているのかもしれませんね。

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