徳川家康が五街道を整備した目的と得られた経済効果をわかりやすく

私達の生活に欠かせない道路。
中でも国が管理している国道は規模が大きく、複数の都道府県を行き来するのにとても便利ですよね。

実は、徳川家康が国道の元となる道・五街道を整備したんです。

徳川家康五街道を整備した目的と得られた経済効果わかりやすく紹介します。

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徳川家康が五街道を整備した目的

慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いた徳川家康は、翌年から道路の整備を開始しました。
この時、徳川家康は江戸城を拠点としていましたが、江戸の道路はもちろん、全国の道路が整備の対象となりました。

おゆう
おゆう

徳川家康が全国の道路の整備に乗り出した目的は支配力の強化です。

江戸時代が始まる前の戦国時代では、全国各地に戦国大名がいて、自分の領地を守ろうと、また、拡大しようと、他人の領地に無断で入り、争いが繰り広げられました。

関ヶ原の戦いを経て、徳川家康は江戸幕府を開きましたが、全国各地の大名が自由に移動できては、江戸を攻められ、また、戦の絶えない時代に逆戻りしてしまうかもしれません。

そこで、全国の道路を整備し、要所に関所をおいて、
☑ 武器を持ち込んでいないか
☑ 江戸に住んでいる大名の妻子が通行しようとしていないか
など、通行人を厳しく取り締まることにしたんです。

つまり、道路だけでなく、制度も整備したんですね。

ただ、全国の道路を一度に整備するのは大変。

そこで、徳川家康は、
① 東海道
② 中山道
③ 甲州街道
④ 日光街道
⑤ 奥州街道
の5つを主要道路とし、優先的に整備することにしました。

① 江戸(日本橋)から京都までを繋ぐ道路を東海道
② 江戸(日本橋)から滋賀県の草津までを繋ぐ道路を中山道
③ 江戸(日本橋)から長野県の下諏訪までを繋ぐ道路を甲州街道
④ 江戸(日本橋)から日光までを繋ぐ道路を日光街道
⑤ 江戸(日本橋)から福島県の白川までを繋ぐ道路を奥州街道
といいます。

慶長10年(1605年)、徳川家康は征夷大将軍を辞職し、三男・徳川秀忠に後を継がせます。
これに伴い、徳川家康が開始した道路の整備は徳川秀忠に引き継がれることとなりました。

徳川秀忠は五街道を起点とした
・美濃路(名古屋と岐阜県の垂井を繋ぐ道路)
・伊勢路(四日市と伊勢を繋ぐ道路)
などの脇街道の整備に取りかかりました。

また、一里(約4キロメートル)ごとに松や杉などの並木を植えた一里塚をつくって、距離の目安にしました。

更に、浮世絵や俳句の題材にもなっているあの有名な東海道五十三次をはじめ、各街道に宿場町をつくりました。
宿場町には、大名の泊まる本陣、随行者の泊まる旅籠、休憩できる茶店などを置きました。

得られた経済効果

徳川家康と徳川秀忠によって整備がすすめられた五街道や脇街道。

道路を整備し始めた当初の目的は支配力の強化でした。
でも、宿場町をつくったことで、観光業が盛んになるという経済効果を得られました。

江戸幕府の第3代将軍・徳川家光の定めた参勤交代により、諸大名は江戸と自分の領地を定期的に行き来することとなります。

諸大名は宿場町にある本陣に泊まりますが、随行者皆が本陣に泊まるわけにはいきません。
また、全ての荷物を本陣に持ち込むわけにはいきません。

おゆう
おゆう

というのも、諸大名は家臣の他、鉄砲や弓を持った足軽、道具箱や武器を運ぶ家来、医師など大勢を率いて行き来していたからです。

藩の規模によって異なりますが、随行者の数は小さい藩で100人、大きい藩で2000人から3000人。
随行者皆が本陣に泊まったら、また、荷物を持ち込んだら、本陣はパンクしてしまいます。

宿場町には本陣の予備施設として脇本陣が設置されていましたが、随行者皆が泊まれるような規模ではありません。

そこで活用されたのが旅籠でした。
諸大名が宿場町を訪れると、本陣、脇本陣はもちろん、旅籠も大にぎわい。

江戸時代以前、庶民は木賃宿(きちんやど)と呼ばれる宿泊施設を利用して観光を楽しんでいました。

木賃宿では食事の提供サービスがなく、客はお米を持参して、薪代を支払って自分で炊いていました。
薪代が木賃宿という言葉の由来です。

参勤交代によって、旅籠が増加すると、庶民も旅籠を利用するようになります。

木賃宿とは異なり、旅籠では食事が提供されます。
米を持ち歩かなければいけない手間に悩んでいた庶民が、お金さえあれば、旅籠に泊まって観光できるようになったんです。

当時、大人気だった観光スポットは、今でも大人気の伊勢神宮や善光寺。
観光客を相手に観光案内するガイドまで誕生し、現代の観光業の基礎ができあがりました。

まとめ:五街道の整備によって、現代の観光業の基礎が完成した!

徳川家康五街道を整備した目的と得られた経済効果わかりやすく紹介しました。

支配力を強化するために、徳川家康は東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道を整備しました。

続いて、第2代将軍・徳川秀忠は各街道に宿場町をつくりました。
第3代将軍・徳川家光が参勤交代を定めたことにより、宿場町にある旅籠がにぎわい、庶民にも普及。
庶民は旅籠を利用して、観光を楽しめるようになり、観光業が盛んになりました。

私達が今便利な生活を送ることができているのは、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の3人のおかげですね。

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