三木城主・別所長治はなぜ織田信長を裏切った?妻や子孫と迎えた最期

中国と畿内を結ぶ交通の要・三木城。
三木城主・別所長治は織田信長に従って毛利氏と戦う姿勢を示していました。

ところが、別所長治は織田信長を裏切り、毛利氏に味方してしまいます。

別所長治織田信長裏切った理由子孫と迎えた最期を紹介します。

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三木城主・別所長治はなぜ織田信長を裏切った?

播磨の別所氏の協力を得られる。
そう確信した織田信長は中国攻略(毛利攻め)を決断。

天正5年(1577年)、中国攻略を命じられた豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)はまず播磨を落とそうとします。

別所長治の拠点・三木城は交通の要で、播磨攻略にあたって、別所氏の協力は絶対必要でした。
ところが、別所長治は織田信長を突然裏切ります。

別所長治が織田信長を裏切った理由は3つあります。

叔父・別所吉親と重宗の権力争いに巻き込まれたから

15歳で父・安治(別所就治の長男)を失った別所長治は、
・別所吉親(別所就治の次男)
・別所重宗(別所就治の三男)
の二人の叔父に育てられました。

つまり、別所家で実権を握っていたのは、養育者である別所吉親・重宗の二人でした。

永禄11年(1568年)、上洛を決めた織田信長は周辺勢力に協力を要請しました。
別所安治は織田信長に従うことを決め、弟・重宗を派遣します。

翌年、永禄12年(1569年)1月には、三好三人衆が足利義昭を襲撃する本圀寺の変が起きました。
この時も、別所安治は重宗を派遣し、三好三人衆を撃退。

織田信長と足利義昭は別所重宗を褒めたたえました。

元亀元年(1570年)、別所安治が亡くなり、その長男・長治が家督を継ぎます。

天正3年(1576年)、別所重宗は別所長治と共に織田信長に謁見。
その後雑賀攻めにも加わり、別所重宗は織田信長から高く評価されました。

別所重宗は織田家臣ともすっかり仲良し。
やがて、軍師・黒田官兵衛(当時は小寺官兵衛)の子・長政に娘を嫁がせるまでになりました。

これをつまらなく思ったのが、もう一人の養育者・別所吉親です。
別所家は吉親派と重宗派に分かれ、家中で争いが始まってしまいました。

別所重宗の功績によって、織田信長は別所氏を信頼していました。
だからこそ、別所重宗と対立する別所吉親は毛利氏に味方をしなければいけなかったんです。

別所吉親は甥・長治を説得。
言いくるめられた別所長治は織田信長を裏切ることになりました。

豊臣秀吉に対して意見を述べられなかったから

豊臣秀吉の開く軍議に出席する機会があった別所長治。
紹介したように、別所長治は叔父・吉親と重宗の板挟みにあっていて、意見を述べられませんでした。

いらだった豊臣秀吉は

豊臣家家紋
豊臣秀吉

別所氏は自分の命令にただ従えばいい!

と言ってしまいます。

名門赤松氏の流れを汲む別所長治はプライドを踏みにじられました。

義父が毛利氏に寝返ったから

天正4年(1576年)2月に備後の鞆にたどり着いた足利義昭。
足利義昭はこの地で幕府再興を目指し、毛利氏と共に周辺勢力を調略します。

この頃、豊臣秀吉は毛利軍に囲まれた上月城の救援に追われて、播磨から兵を引き揚げていました。

そのため、丹後、丹波、播磨内の有力な国衆の中にも、すきを狙って毛利氏に寝返る者が出始めました。

その中には、八上城主・波多野秀治もいました。
波多野秀治の娘・照子は別所長治の妻だったといわれています。

妻や子孫と迎えた最期

天正6年(1578年)3月、別所長治と豊臣秀吉の間で三木城の戦いが始まりました。

天正8年(1580年)1月、敗北を悟った別所長治は降伏、開城を決断。
妻・照子、子・竹姫、虎姫、千代丸、竹松丸、弟・友之とその妻と共に自害をしました。

ただ、長男・千代丸について。
事前に、別所家臣・後藤基国(後藤又兵衛の父)が乳母と共に城外に逃がしたともいわれています。
その後、千代丸は帰農し、歴史の表舞台から遠ざかったのだとか…

義父・波多野秀治は八上城で降伏を申し入れました。

当初は一族の助命を約束されていましたが、安土で磔にされてしまいました。
約束を破られた八上城の兵達は怒り、人質として預かっていた明智光秀の母を殺したといわれています。

まとめ:織田信長を裏切ったのは、叔父と義父とプライドのせい!

別所長治織田信長裏切った理由子孫と迎えた最期を紹介しました。

別所長治が織田信長を裏切ったのは、
① 叔父・別所吉親と重宗の権力争いに巻き込まれた
② 豊臣秀吉に対して意見を述べられなかった
③ 義父が毛利氏に寝返った
からです。

三木城の戦いで敗北した別所長治は妻子や弟と共に自害することになりました。

子どもに手をかけなければいけなくなった別所長治。
自らの選択を悔いたのではないでしょうか。
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