徳川家康と井伊直政の関係は?男色相手で寵童だった?

男色に興味のなかった徳川家康の心を奪った井伊直政。

実際のところ、徳川家康と井伊直政はどのような関係だったのでしょうか。

徳川家康井伊直政関係、徳川家康の男色相手で寵童だったといわれる理由を紹介します。

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徳川家康と井伊直政の関係は?

井伊直政は徳川四天王の一人で、徳川家康の側近として、江戸幕府の成立に貢献した徳川家臣ですが、実は、二人は遠戚であり、相舅(あいやけ)でもありました。

遠戚

井伊直政の父・井伊直親は徳川家康の妻・築山殿の母の従兄弟でした。
つまり、徳川家康にとって、井伊直政は妻の従兄弟の子どもで、井伊直政にとって、徳川家康は父の従兄弟の夫となります。

主君から信頼を得た家臣が主君と姻戚関係を築くのは一般的な話ですが、主君・家臣になる前から、二人は遠戚だったんですね。

相舅

主君・家臣になる前から、二人は遠戚でしたが、井伊直政に厚い信頼を寄せた徳川家康は、四男・松平忠吉の妻に井伊直政の長女・清泉院(政子)を迎えます。

徳川家康は井伊直政の娘の義父に、井伊直政は徳川家康の息子の義父となり、相舅となりました。

徳川家康の男色相手で寵童だった?

井伊直政は小柄で、顔立ちが整っていて、少年のような容姿をしていました。

また、豊臣秀吉によって徳川家に差し出された豊臣秀吉の母・大政所を人質として扱う徳川家臣が多い中、井伊直政は大政所にお菓子を差し入れるといった気配り上手でした。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

大政所はもちろん、大政所と共に徳川家に移り住んだ侍女も、井伊直政を見る度にキャーキャーと黄色い声を上げました。

女性から絶大な支持を得ていた井伊直政。
でも、井伊直政を気に入っていたのは、女性だけではありません。

家臣の裏切りにより、幼くして祖父、父を失った井伊直政。
井伊直政の境遇は、家臣に祖父を殺され、また、幼くして父を失った徳川家康の境遇と似ていたため、徳川家康は井伊直政を特に可愛がりました。

当時、正妻や側室を抱えつつも、戦国武将は男色を好んでいたのが一般的。

徳川家康は珍しく男色を好みませんでしたが、徳川家康も井伊直政を例外的に気に入り、自宅近くに井伊直政が泊まれるよう邸宅を建てさせ、井伊直政を度々呼び出していました。

坊っちゃん
坊っちゃん

井伊直政は徳川家康を襲った間者を討ち、徳川家康からますます寵愛されます。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、井伊直政が島津軍から銃撃され、足を負傷すると、徳川家康は井伊直政を訪ね、自ら薬を塗ってあげました。

実は、この時、徳川家康の四男・松平忠吉も負傷していましたが、徳川家康が薬を塗った相手は井伊直政だけ。
徳川家康にとって、井伊直政は息子を超える特別な存在だったのではないでしょうか。

まとめ

徳川家康井伊直政関係、徳川家康の男色相手で寵童だったといわれる理由を紹介しました。

徳川家康と井伊直政は遠戚で、後に相舅となりましたが、井伊直政はその容姿と気遣いで女性や徳川家康を虜にし、特に可愛がられました。
井伊直政は戦国時代のジャニーズ的存在だったのではないでしょうか。

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