織田信長が足利義昭のために二条御所を築城した理由と戦い

足利義昭の協力要請に応じ、上洛を実現した織田信長。
上洛の翌年、織田信長は足利義昭に豪華な城をプレゼントします。 

織田信長足利義昭のために二条御所を築城した理由
② 二条御所で行われた戦い二条御所の戦い
を紹介します。

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織田信長が築城した二条御所とは?

二条御所は室町幕府将軍の御所・城です。

織田家家紋
織田信長

慶長6年(1601年)に徳川家康が築いた二条城とよく間違えられます。
そのため、区別して、旧二条城、二条古城とも呼ばれています。

実は、二条御所には、
① 永禄2年(1559年)に建設された第13代将軍・足利義輝の御所
② 永禄12年(1569年)に建設された第15代将軍・足利義昭の御所
の2つがあります。

②の足利義昭の御所は、織田信長が足利義輝の御所を拡張して建設したものです。

織田信長は自身が普請総奉行となり、3ヶ月間京に滞在。
二条御所をわずか70日間で完成させました。

短期間で築城できた理由は、
①足利義輝の二条御所の遺構を利用した
②畿内はもちろん、近隣諸国から武士を集め、8万人で取り掛かった
③本圀寺から建築物や屏風、絵画を運んだ
からです。

武士
武士

70日間で完成したとは思えない豪華な御所だったといわれています。
瓦には金箔が用いられていたのだとか。

設備を維持するために、足利義昭は諸大名に御内書を送り、資金援助を求めました。

ところが、建設から7年後の天正4年(1576年)9月、織田信長は二条御所を解体します。
というのも、槇島城の戦いで敗北した足利義昭が毛利氏を頼り、鞆に移ったためです。

織田信長は安土城の築城真っ最中で、二条御所の天守や門を転用します。

一方で、石垣は自由に持ち帰ることができました。
12月には、堀が埋まり、二条御所は完全に姿を消しました。

それから400年が経った、昭和49年(1974年)。
京都市営地下鉄烏丸線の開通工事が始まり、二条御所の石垣と堀の跡が発見されました。

石垣には、石仏や板碑、燈籠などの石材が用いられていて、急いで築いた城だったことがわかっています。

織田信長が足利義昭のために二条御所を築城した理由

紹介したように、建設から7年後、織田信長は二条御所を解体しました。

織田信長は何故、足利義昭のために二条御所を築城したのでしょうか。
その理由は2つあります。

足利義昭を守るため

永禄11年(1568年)、足利義昭は織田信長と共に上洛を果たします。

将軍に就任した足利義昭は本圀寺(京都市山科区)に居ました。
ところが、翌年の永禄12年(1569年)、三好三人衆が本圀寺を襲撃(本圀寺の変)。

京にとどまっていた織田軍と足利義昭の側近が三好軍を撃退し、足利義昭は無事でした。

織田家家紋
織田信長

ただ、京にいつまでも軍をとどめておくわけにいきません。

そこで、織田信長は防御性の高い城構えの居館を造ろうと考えました。

足利義昭を監視するため

足利義昭を守るために、建築された二条御所。

実は、「足利義昭のため」というのは建前。
足利義昭を二条御所に囲い込み、監視する目的もあったのではないかと考えられています。

二条御所の戦いとは?

織田信長が足利義昭のために築いた二条御所。

ところが、建築から3年後の元亀4年(1573年)2月。
二条御所を舞台に、織田信長と足利義昭の戦いが繰り広げられます。

織田信長に反旗を翻した足利義昭は二条御所の周囲に堀を作ったり、弾薬を運び込んだりします。
そして、石山や今堅田、摂津や丹波などで織田信長に反抗する者を募りました。

・足利義昭の呼びかけに応じる者が多かった
・「武田信玄が3万人の兵を率いて織田軍を襲撃しようとしている」という噂が流れた
・「織田信長と対立する三好軍、石山本願寺勢が京に向かっている」という噂が流れた
ことから、足利義昭は織田信長が京に攻め入ることはないと思っていました。

ところが、織田信長は足利義昭軍を討つべく、岐阜を出発。
織田信長が近江に到着してやっと、足利義昭は織田信長の出陣を知りました。

足利義昭は奉公衆5000人、摂津衆、丹波衆、その他の武将と兵を二条御所に引き入れました。

足利義昭軍8000人に対して、織田信長軍は1万6000人で2倍の兵力。
織田軍は二条御所の周囲に砦を築いて包囲し、兵糧の補給ルートを遮断しました。
籠城する足利軍の士気はあっという間に下がりました。

既に勝負はついていますが、朝廷を通じて、織田信長は足利義昭に講和を求めます。
打つ手のない足利義昭は講和に応じました。

織田信長は足利義昭に会わず、岐阜に帰りました。

まとめ:織田信長は御所を築き、戦い、解体した!

織田信長足利義昭のために二条御所を築城した理由
② 二条御所で行われた戦い二条御所の戦い
を紹介しました。

足利義昭を守るため、監視するために築かれた二条御所。
自分の贈った御所が戦の舞台になるなんて、織田信長は想像できなかったのではないでしょうか。
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