梁の初代皇帝・武帝(蕭衍)は熱心な仏教徒として有名ですが、武帝の仏教信仰は行き過ぎだったと批判する人も少なくありません。
熱心な仏教徒だった武帝はどのような生活を送っていたのでしょうか。
仏教を過度に信仰した武帝(蕭衍)の生活を紹介します。
たくさんの寺を創建した
武帝が48年間の在位中に創建した寺の数は判りませんが、愛敬寺、智度寺、新林寺、法王寺、同泰寺などをはじめとして、たくさんの寺を創建しました。
最大規模の寺は同泰寺で、大法会や捨身などの法事は主に同泰寺で行われました。
529年に行われた四部無遮大会には僧侶と俗人の合わせて5万人が集まりました。
また、武帝は法座に昇って、自ら般若経や三慧経などを講義しました。
国のトップである皇帝が仏教について自ら講義したことにより、仏教は皇族から庶民まで身分を問わず拡大しました。
4回の捨身をした
武帝は527年、529年、546年、547年と4回にわたって捨身をしました。
それぞれの捨身の期間は527年が4日間、529年が17日間、546年が37日間、547年が43日間で、合計101日間にも及びました。
ウェストが60cmになった
散騎常侍・参礼儀事の賀琛が地方官吏が税を不当に取り立てたり、賄賂を受け取ったりしていること、贅沢な生活を送っていることを指摘すると、普段温厚な武帝は珍しく激怒しました。
というのも、武帝は仏教を信仰してから女性と一緒に寝たことがなく、部屋には豪華な絵画を飾りませんでした。
また、宴会に出席しても、音楽家の演奏を許さず、お酒を飲むことも、肉や魚を食べることもしませんでした。
日付が変わると共に政務に取り組んだり、読経や写経をしたりして、食事を十分に摂る暇もありませんでした。
そのため、手はひび割れ、昔は5尺もあったウェストは2尺にまで細くなりました。
1尺は約30cmなので、150cmから60cmにまで細くなったということです。
5尺は言い過ぎですね。
真夏でも肌を見せることなく過ごし、小間使いの官吏に対しても丁寧に接しました。
もはや、仏教徒というよりジェントルマンですね。
まとめ
仏教を過度に信仰した武帝(蕭衍)の生活を紹介しました。
たくさんの寺を創建し、4回の捨て身を行った武帝。
武帝の過度な仏教信仰により、梁の財政は逼迫することとなりました。
梁が衰退した最も大きな原因として侯景の乱が挙げられますが、武帝の過度な仏教信仰も梁が衰退する原因の一つに数えられるかもしれませんね。
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