赤坂城の戦いと千早城の戦いで、鎌倉幕府を相手に奮戦した楠木正成。
「軍神」とも呼ばれる楠木正成が負けて、弟と一緒に自害したのが湊川の戦いです。
湊川の戦いが行われた場所、楠木正成が負けた理由を紹介します。
湊川の戦いはどこで行われた?
湊川の戦いは摂津国湊川(現在の神戸市中央区、兵庫区)で行われました。
② 神戸市兵庫区には、楠木正成像のある湊川公園
があり、この周辺で戦が繰り広げられたと考えられています。
多聞通という町名は、楠木正成の幼名・多聞丸が由来です。
湊川の戦いで楠木正成はなぜ負けた?
豊島河原の戦いで後醍醐天皇勢に敗れた足利尊氏。
足利尊氏は九州に落ち延びましたが、
① 光厳上皇の院宣
② 元弘没収地返付令
によって、兵力を増やして、京を再び目指します。
足利尊氏を恐れた後醍醐天皇は京を離れていた楠木正成を呼び出し、作戦会議を開きました。
足利軍の兵力を知った楠木正成は、
① 足利尊氏を京におびき寄せる
② 楠木正成軍・新田義貞軍で足利軍を挟み撃ちにする
作戦を提案し、後醍醐天皇の身の安全を確保するために、京を離れるよう願い出ました。
すると、
京は天皇の居場所なのに、敵に京をわざわざ譲るなんて体面が悪い!
と言って、公家が大反対。
公家に賛同した後醍醐天皇は楠木正成と新田義貞に足利軍と戦うよう命じました。
建武3年(1336年)5月24日、楠木正成と新田義貞は合流した後、足利軍に勝利するための作戦を立てました。
新田義貞は悲嘆に暮れていましたが、楠木正成の励まし、立てた作戦により、気を取り直しました。
ところが、作戦もむなしく、楠木正成は足利軍に攻められて敗北。
諦めた楠木正成は弟・楠木正季と刺し違えて自害します。
何故、楠木正成は湊川の戦いで負けたのでしょうか。
圧倒的な兵力の差
九州から京を再び目指す足利軍の兵は推定3万5000人。
対して、迎え撃つ楠木・新田軍の兵は推定1万7500人。
圧倒的な兵力の差があり、誰がどう考えても、楠木・新田軍が不利。
でも、楠木正成が兵力の差を考慮しないはずがありません。
楠木正成の立てた作戦は、兵力に差があっても勝利する可能性があるものでした。
水軍の有無
九州に落ち延び、九州から京を目指した足利尊氏。
足利尊氏のもとには、九州や中・四国の武士も集まりました。
つまり、海上での戦に慣れた武士がいたんです。
足利尊氏は陸軍、水軍(海軍)を用意できたんですね。
5月25日、足利尊氏の率いる水軍が湊川に到着。
また、弟・足利直義の率いる陸軍もまもなく湊川に到着しようとしていました。
水軍を用意していない新田義貞は、
① 弟・脇屋義助に5000人の兵を預けて経島
② 大舘氏明に3000人の兵を預けて灯炉堂の南
に布陣させます。
また、自らは2万5000人の兵を率いて、和田岬に布陣しました。
楠木正成はわずか700人の兵を率いて、湊川の西にある会下山に布陣し、足利直義率いる陸軍に備えました。
新田義貞の誤認と戦線離脱
和田岬で足利軍(水軍)と新田軍の戦いが始まりました。
しばらくして、足利尊氏は水軍を2つに分けて、細川定禅率いる水軍を東に移動させます。
いよいよ上陸すると思った新田義貞は、追いかけるように軍を東に移動させました。
足利尊氏軍はもぬけの殻になった和田岬から堂々と上陸。
足利軍が和田岬に入ったことで、楠木軍と新田軍は分断され、連携をとれなくなってしまいました。
楠木軍は会下山で孤立してしまいました。
斯波高経軍が楠木軍の後方に、足利直義軍が楠木軍の前方に布陣し、楠木軍は前後から挟まれてしまいます。
楠木正成は前方の足利直義軍を倒してから、後方の斯波高経軍を倒す作戦に変更しました。
楠木正成は700人の兵で足利直義軍を須磨まで退却させることに成功。
ところが、足利直義の身を案じた足利尊氏は6000人の兵を会下山に送り、楠木軍は窮地に追い込まれました。
6時間の激闘の末、楠木軍は73人にまで減ってしまいます。
敗北を覚悟した楠木正成は湊川の東にある民家で自害しました。
楠木正成を討った足利軍は新田軍を追いかけます。
新田義貞は西宮に逃げていましたが、足利尊氏・直義を討つと覚悟を決め、西宮から引き返しました。
新田軍と足利軍は生田の森(神戸市中央区)で激突。
京を追われた後醍醐天皇は三種の神器と共に比叡山に移りました。
まとめ:新田義貞の勘違いがなければ…
湊川の戦いが行われた場所、楠木正成が負けた理由を紹介しました。
湊川の戦いは現在の神戸市中央区・兵庫区周辺で行われました。
中央区・兵庫区には、湊川公園や湊川神社、多聞通など、楠木正成に由来する施設が多くあります。
① 圧倒的な兵力の差
② 水軍の有無
③ 新田義貞の誤認と戦線離脱
によって、足利尊氏に敗北した楠木正成。
新田義貞が細川定禅と足利尊氏を誤認していなければ、形勢は変わっていたかもしれませんね。
楠木正成は大河ドラマ「太平記」に登場しています。
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