蔦屋重三郎と共に処罰された山東京伝の生涯と逸話

質屋の長男でありながら、17歳で挿絵デビューした山東京伝。

山東京伝生涯逸話を紹介します。

スポンサーリンク

蔦屋重三郎と共に処罰された山東京伝の生涯

山東京伝は宝暦11年(1761年)生まれ。
江戸の深川木場で質屋を営む岩瀬伝左衛門と母・大森氏の間に長男として誕生しました。

本名は岩瀬醒(いわせさむる)といいます。

山東京伝には弟(相四郎)と妹(よね)がいます。
相四郎は戯作者の山東京山、よねは黄表紙・狂歌作者の黒鳶式部。

質屋に生まれながら、山東京伝兄弟には文才があったことがよくわかります。

「お花半七開帳利益札遊合」で挿絵デビュー!

北尾派の祖である浮世絵師・北尾重政に絵を学んだ山東京伝は北尾政演と称し、挿絵や錦絵を描きます。

町人
町人

山東京伝は吉原で遊ぶのが大好き。
一ヶ月のうち3週間以上は吉原に滞在し、帰宅した日は一週間もないといわれています。

安永7年(1778年)、者張堂少通辺人の黄表紙「お花半七開帳利益札遊合」で挿絵を初めて手掛けます。

その2年後の安永9年(1780年)には、黄表紙「娘敵討古郷錦」や「米饅頭始」を刊行しました。

山東京伝と称する

天明2年(1782年)、蔦屋重三郎の仲介で大田南畝や恋川春町らと吉原で遊びます。
「手前勝手御存知商売物」が大田南畝の目に留まり、一躍人気戯作者に。

この年以降、山東京伝と称するようになりました。

町人
町人

山東京伝という通称は住んでいた場所と幼い頃の通称に由来します。

安永2年(1773年)、山東京伝の父が京橋銀座一丁目にある町屋敷の家主になります。
山東京伝も江戸城紅葉「山」「東」にある「京」橋に引っ越しました。

この時の山東京伝の通称は「『伝』蔵」。
山東京伝は紅葉山の東にある京橋と通称「伝蔵」に由来するんですね。

天明4年(1784年)に、蔦屋重三郎のもとで「吉原傾城新美人合自筆鏡」を刊行。
吉原の遊女を描いたこの本は日本国内はもちろん、後に海外でも評判になりました。

過料処分となる

その後も、人気作品を次々と刊行します。
ところが、寛政元年(1789年)、黄表紙に描いた挿絵が咎められ、過料処分となりました。

山東京伝は過料処分を理由に、執筆をやめようとします。

ところが、蔦屋重三郎に頼み込まれて思いとどまることに。
黄表紙や洒落本の他、児童向けの「通俗大聖伝」を刊行しました。

手鎖50日の処分を受ける

寛政3年(1791年)、洒落本3冊が咎められ、手鎖50日の処分を受けます。

心の折れた山東京伝を支えたのは曲亭馬琴。

実は、曲亭馬琴は以前から山東京伝の弟子になることを望んでいました。
でも、山東京伝は弟子をお断りしていたんです。

曲亭馬琴は山東京伝の代わりに執筆し、その流れで山東京伝の弟子になりました。
曲亭馬琴に感謝し、また、その才能を認めた山東京伝は曲亭馬琴を蔦屋重三郎の手代として推薦しました。

寛政5年(1793年)、銀座で煙草入れのお店「京屋」を開業します。

文化13年(1816年)、発作を起こした山東京伝は56歳で亡くなりました。

山東京伝の逸話

吉原で遊びながらも、戯作者として、また、絵師として人気を博した山東京伝。
山東京伝には、次のような逸話があります。

吉原の遊女と二度結婚

寛政2年(1790年)、新吉原の遊女(番頭新造)・菊園を身請けし、正妻として迎えます。

身請けとは、身の代金や前借金を代わりに支払い、遊女の仕事を辞めさせること。
山東京伝は高額の身請金を支払ったに違いありません。

ところが、寛政5年(1793年)に菊園が病死。

その7年後の寛政12年(1800年)には、遊女・玉の井を妻に迎えました。

新作の構想ができると、山東京伝はまず玉の井に聞かせ、意見を参考に構想を練り直したといわれています。

更に、享和3年(1803年)には、玉の井の妹・滝を養女に迎えます。
文化9年(1812年)、滝が病死すると、悲しむ玉の井のために、髪結いの株(営業権)を購入。

山東京伝が玉の井を大切にしていたことがよく分かりますね。

割り勘の祖

飲み会やパーティを開いた時に、その代金を参加者の人数で均等に割る割り勘。
実は、割り勘の概念を生み出したのは山東京伝です。

山東京伝の生きていた時代は、代表者一名が総額を支払うのが一般的。
ところが、山東京伝は総額を参加者の人数で均等に割って、支払いを済ませていました。

当時、この勘定方法は「京伝勘定」と呼ばれました。

何故、山東京伝は「京伝勘定」を用いたのでしょうか。

曲亭馬琴によると、「山東京伝はケチなのではなく、お金のトラブルを嫌った」とのこと。

二度も遊女を身請けし、二度も処分を受けた山東京伝。
金銭トラブルに遭わないよう、普段から気を付けていたのかもしれませんね。

まとめ:浮世絵師、戯作者、経営者のマルチな才能の持ち主!

山東京伝生涯逸話を紹介しました。

二度の処分を受けながらも、
・作品を刊行し続ける
・煙草入れの店を開業する
など、マルチな才能を発揮した山東京伝。

250年以上も前から割り勘を採用していたのも納得できますね。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。

ゆこ
ゆこ

キャスト紹介と役にかける想い、登場人物の簡単な説明が載っています。
ガイドブックを読めば、ドラマに集中できること間違いなし!
手に取っていただきたい一冊です。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

タイトルとURLをコピーしました