関ヶ原の戦いで石田三成が敗北した4つの原因

天下分け目の戦いと呼ばれる関ヶ原の戦い。

戦が始まる前は、兵力の多い西軍が有利だとされていましたが、結果は東軍の勝利。
対立の続いていた徳川家康が勝利し、石田三成が敗北しました。

関ヶ原の戦い石田三成敗北した4つの原因を紹介します。

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徳川家康は根回しが上手だった

仕事のデキる人は根回しが上手だといいますよね。
実は、徳川家康は関ヶ原の戦いが始まる2ヶ月も前から、戦国武将に根回しをしていました。

根回しで上杉・佐竹両氏をけん制

慶長5年(1600年)3月、会津の上杉景勝が謀反を企てているという噂が飛び交います。

謀反の疑いのある上杉景勝に対し、徳川家康は上洛して説明するよう要求しました。
でも、上杉景勝の家老・直江兼続は直江状をもって、上洛を拒否。

徳川家康は上杉景勝を討つ目的で会津に向かいました。

ところが、会津に向かう途中、石田三成が伏見城で挙兵。

徳川家康は上杉景勝の征伐を中止します。
そして、上杉景勝の攻撃を恐れた徳川家康は宇都宮城に軍勢を残し、江戸城に戻りました。

宇都宮城に軍を配備したものの、徳川家康は、

宇都宮城を攻略して、上杉景勝が常陸の佐竹義宣と共に江戸城を攻撃したらどうしよう…

と心配します。

そこで、徳川家康は出羽の最上義光、陸奥の伊達政宗に根回しをして、上杉景勝と佐竹義宣を足止めさせました。
上杉景勝から攻撃を受ける心配がなくなった徳川家康は、やっとの思いで江戸城を出発しました。

根回しで東軍の団結力を強化

伏見城における石田三成の挙兵を知るなり、小山に戦国武将を集め、小山評定を行った徳川家康。

福島正則が「石田三成を討つ!」と真っ先に発言し、戦国武将が次々と呼応しました。

これにより、東軍は団結力を強めますが、小山評定に先立って、徳川家康は福島正則に根回しをし、石田三成を討つムードを作らせていました。

根回しで西軍の士気を低下

小山評定にて、石田三成を討つという戦国武将の決意を確認した徳川家康は、江戸城に戻りました。

戦の準備を整えて出陣するものだと思いきや、徳川家康はなんと一ヶ月もの間江戸城にこもります。

江戸城で徳川家康が行ったのは、各国の戦国大名に手紙を書いて送ること。
江戸城を離れても、滞在先から各国の戦国大名に手紙を送り続け、東軍につくよう呼びかけました。

徳川家康から手紙を受け取った戦国大名。
誰かが裏切るかもしれないと疑心暗鬼になり、西軍の士気は低下しました。

石田三成は頑固者だった

豊臣秀吉の下で奉行として大活躍してきた石田三成。
豊臣秀吉の命令に従い、朝鮮出兵をはじめ、あらゆる戦について正直に報告しました。

石田三成が行った報告の中には、豊臣秀吉の耳に入れてほしくないことも含まれていて、処罰を受ける戦国武将も少なくありませんでした。

そのため、石田三成は多くの戦国武将から恨みを買っていました。

福島正則や加藤清正は朝鮮出兵の功績を見直しを要求しましたが、石田三成は応じませんでした。

石田三成が柔軟に対応していれば、石田三成に従う戦国武将が増えたかもしれませんね。

小早川秀秋が東軍に寝返った

関ヶ原の戦いの裏切り者として有名な小早川秀秋。
関ヶ原の戦いの前、小早川秀秋は東軍、西軍それぞれから援軍を要請されていました。

当初、小早川秀秋は西軍に味方する姿勢を示していましたが、内心は迷っていました。

そんな小早川秀秋の心中を察してか、東軍・黒田長政は小早川秀秋と交渉。
結果、小早川秀秋は東軍につきます。

小早川秀秋の裏切りは西軍の戦国武将が次々と東軍に寝返るきっかけを作りました。

吉川広家が西軍を動かさなかった

西軍の総大将・毛利輝元の家臣だった吉川広家。

戦況が進むうちに、吉川広家は東軍が勝利すると確信します。
そこで、周囲には内緒で黒田長政を通じて、徳川家康と連絡を取りました。

関ヶ原の戦い本戦では、あくまでも西軍として参戦しているように見せかけます。

でも、

腹が減っては戦ができぬ!

と適当なことを言って、吉川広家は軍を全く動かしませんでした。

吉川広家の近くには、毛利秀元や長宗我部盛親が布陣していました。

東軍と西軍のどちらを攻撃するわけでもなく、ご飯をただ食べる吉川軍。
毛利秀元、長宗我部盛親は吉川広家の考えを読めません。

二人が独自に軍を動かせば、吉川軍に背後を突かれる恐れがあります。
結果、毛利秀元、長宗我部盛親は軍を動かすことができず、西軍は勢いを失ってしまいました。

まとめ:石田三成は根回し上手で柔軟性のある徳川家康に負けた!

関ヶ原の戦い石田三成敗北した4つの原因を紹介しました。

関ヶ原の戦いで石田三成が敗北した原因には、
① 徳川家康は根回しが上手だった
② 石田三成が頑固者だった
③ 小早川秀秋が東軍に寝返った
④ 吉川広家が西軍を動かさなかった
ことが挙げられます。

関ヶ原の戦いが始まる前から、徳川家康は心理戦を繰り広げていたんですね。

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