籠城戦に勝ち目はない?有名な戦から学ぶ勝利のコツ

自陣の拠点である城に立て籠もり、敵の攻撃を凌ぐ籠城戦。
籠城戦に対して、不利な印象を抱いている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

籠城戦勝利コツを、有名な戦事例と共に紹介します。

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籠城戦に勝ち目はない?

城の四方を敵軍に囲まれる籠城戦はまさに四面楚歌。
でも、戦国時代初期までの籠城戦では勝利した例も少なくありません。

武士
武士

というのも、戦国時代初期以前は兵農未分離の時代。
農民は必要に応じて、兵士として参戦していました。

ただ、農民はいつまでも兵士として戦い続けるわけにはいきません。
農民には米を収穫し、年貢を納めるという義務があります。

また、米を収穫できなくて困るのは、その地を治める大名も同じ。
農業の繁忙期を迎える前に、参戦していた農民は自国に引き返さなければいけません。

籠城する側が農繁期までもちこたえることができれば、十分に勝ち目はあったんです。

有名な籠城戦から学ぶ勝利のコツ

農繁期までもちこたえられれば十分に勝ち目はあった。
そう紹介しましたが、農繁期まで城にただ立て籠もっているだけでは、勝ち目はありません。

籠城戦で勝利するコツは3つあります。

兵装

包囲するためとはいえ、敵軍が自ら城に近づいてくれているのに、ただ立て籠もるなんてもったいない。

・城の壁にあけた狭間(さま)と呼ばれる穴
・狭間の上に急きょつくった石内棚
から、矢を射たり、鉄砲を撃ったりして、城の内部から敵軍を攻撃しました。

籠城すると決めたら、保管している武器武具(刀、弓、鉄砲、弾薬など)が錆びついていないかチェック。
必要に応じて手入れしたり、購入したりしました。

有名な戦が元弘元年(1331年)9月に起きた赤坂城の戦い。
1万人の鎌倉幕府軍が楠木正成と護良親王の居城・赤坂城を攻めました。

楠木正成は200人の兵と共に籠城。
弟・楠木正季と和田正遠は300人の兵と共に近くの山に布陣しました。

楠木正成は赤坂城を囲んだ幕府軍に矢を放ちます。
一時撤退した幕府軍は休憩するべく、近くの山で武具を置き、防具を脱ぎました。

そこへやってきたのが、楠木正季・和田正遠軍。

二手に分かれた軍は魚鱗の陣で幕府軍を奇襲。
混乱に陥った幕府軍は再び退却しました。

その後、幕府軍は攻撃を再開し、赤坂城を包囲します。
楠木正成は塀を切り落としたり、熱湯をかけたりして、幕府軍を悩ませました。

食糧

農繁期は遅くても6ヶ月後にやってきます。
つまり、6ヶ月もすれば、敵軍は自国に撤退します。

北陸や東北の冬は積雪期。
雪で道が塞がれると、自国に帰る、兵糧を輸送することができません。
そのため、冬を迎える前に撤退しなければいけませんでした。

籠城する側は6ヶ月以上生活できる食糧、水を確保しました。

有名な戦が永禄3年(1560年)3月に起きた小田原城の戦い。
上杉・長尾軍10万人が北条氏康・氏政親子の居城・小田原城を包囲しました。

北条軍から上杉軍に寝返った太田資正は小田原城下に放火し、北条軍を城から誘い出そうとします。
それでも、北条軍は城から出ることはありませんでした。

この頃、関東では飢饉が続発していたため、上杉・長尾軍は兵糧が不足し始めます。
更に、陣中で感染症が流行っていた、田植えの時期がせまっていたため、上杉・長尾軍は撤退をせざるをえなくなりました。

北条軍が籠城したのは一ヶ月程度ですが、食糧・水確保の必要性がよくわかりますね。

後詰

後詰とは、背後(攻撃・防御部隊の後方)から援助する部隊を指します。

武士
武士

籠城する軍にとって、後詰は分散した自国の軍や同盟国の援軍。
隣国と同盟を結ぶのは、後詰として援軍に来てもらえることを期待したからです。

城を取り囲む敵軍を籠城する側と後詰で挟み撃ちにすれば、十分勝利することができました。
また、城の包囲を解き、撤退する敵軍を逆襲するチャンスもありました。

有名な戦が天文9年(1540年)9月に起きた吉田郡山城の戦い。
尼子氏3万の大軍が毛利元就の居城・吉田郡山城を攻めました。

対して、毛利軍はたった8000人。
これは吉田郡山城にいた人数で、実際に戦える兵は2800人程度だったといわれています。

毛利家家紋
毛利元就

毛利元就は当時の主君・大内義隆に後詰の援軍を要請。

援軍である大内軍が到着したのは3ヶ月後の12月。
翌年1月には、尼子軍が大内軍に押されて不利になり、焦った尼子軍は総攻撃を仕掛けます。

ところが、宮崎長尾の戦いにて、大内軍に属していた陶晴賢が尼子本陣を奇襲し、尼子久幸が討死。
これを受けて、尼子軍は撤退を始めますが、毛利軍・大内軍が追撃し、尼子軍は総崩れ。

尼子軍は月山富田城に逃げ帰りました。

戦国時代の後半に入ると、兵農分離が進み、軍の長期滞陣が可能になります。
そのため、敵軍の撤退を待つという戦術は通用しなくなりました。

まとめ:何事も準備が大事!

籠城戦勝利コツを、有名な戦事例と共に紹介しました。

不利な印象の強い籠城戦ですが、兵装、食糧、後詰を準備していれば、十分に勝ち目はありました。
籠城戦には、武将達のアイデアが詰まっていたんですね。

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