難関試験として世界的に有名な科挙。
科挙の合格者は官吏に登用されますが、官吏に登用されなかった不合格者はどうしたのでしょうか。
科挙に落ちた受験生の行く先、黄巣の乱が起きた背景と意義を紹介します。
科挙に落ちたらどうなる?
科挙に合格したら官吏に登用され、合格した本人はもちろん、その一族が安泰な将来を約束されます。
合格したら、官吏に登用されることはもちろん、結婚相手としても引っ張りだこ。
既婚者の合格者には、「お金を渡すから、離婚して、うちの娘と結婚してくれ」と懇願する両親もいたそうです。
でも、科挙の合格率は0.3%。
受験者が1000人だとすると、たった3人しか合格できなかったんです。
科挙に合格して官吏に登用された3人を除く997人は、科挙に落ちた後、どうしたのでしょうか。
① 潔く諦める
② 再挑戦する
③ 自暴自棄になる
科挙は男性しか受験できなかったため、男の子が生まれると、両親は科挙に合格するための準備に取りかかりました。
3歳から漢字を勉強し、6歳から塾に通って、「四書五経」を暗記し、暗記し終えたら関連書籍を読みました。
9つの経典を合わせると、文字数は43万にも及び、科挙に合格するためには、43万文字暗記しなければいけませんでした。
受験戦争が激化すると、3歳からではなく、妊娠中から、四書五経を読み聞かせるお母さんまで登場しました。
クラシック音楽を聞かせるように、四書五経を聞かせていたんですね…
まさに胎教。
幼い頃から、科挙に合格するための生活を送ってきた受験者。
科挙に落ちたら、自暴自棄になる受験者が現れて当然ですが、国にとって、自暴自棄になる受験者は脅威。
中には、科挙を実施している国に不満を抱き、反乱を起こす者がいました。
黄巣の乱が起きた背景と意義
科挙に落ちた者が起こした反乱として有名なのが黄巣の乱です。
黄巣の乱が起きた背景と意義をみていきましょう。
背景
黄巣は835年生まれで、曹州(山東省菏沢市)出身。
科挙に合格するには多大な時間とお金が必要だったため、黄巣は受験者として有利な立場にいました。
ところが、科挙を受けても受けても、黄巣は合格できませんでした。
黄巣は諦めて、秘密結社をつくって、塩の密売人になり、874年、国に不満を抱いていた王仙芝と共に反乱を起こしました。
唐は反乱を鎮圧するために、王仙芝を取り込むことにしました。
王仙芝に「官職を与える」と言ったんです。
王仙芝は喜びましたが、一緒に反乱を起こした黄巣は唐から声をかけられませんでした。
王仙芝は唐の提案を拒みましたが、黄巣との溝は深まるばかり。
やがて、黄巣と対立することになりました。
王仙芝は唐に「官職を与えてくれれば、唐の味方をする」と言いましたが、一度拒まれた唐は王仙芝の申し出を聞き入れませんでした。
878年、王仙芝は黄梅(湖北省黄岡市)で戦死しました。
第21代皇帝・僖宗(李儼)は長安から蜀(四川省成都市)へ逃亡しました。
黄巣は斉を建国して、皇帝に即位しました。
ところが、黄巣は政治に疎く、民心を掴むことができませんでした。
黄巣に愛想をつかした部下・朱全忠は唐に寝返り、黄巣一族は唐軍に殺されました。
すると、朱全忠は唐に反旗を翻し、汴州(河南省開封市)を都に定めて、後梁を建国しました。
李振は科挙合格者を憎み、黄河に投げ込むなど、粛清しました。
これを白馬の禍といいます。
意義
科挙は、受験者にとって安泰な将来を得られる方法であり、国にとって忠誠を誓う官吏を集める便利な方法でした。
科挙合格者と国にとって、科挙はWin-Winな制度。
でも、科挙に落ちた者にとって、科挙は人生を棒に振る制度でしかありませんでした。
黄巣や李振など、科挙に落ちた者が起こした反乱や粛清によって、科挙が国に不満を抱く者を増やしていることが露呈しました。
まとめ
科挙に落ちた受験生の行く先、黄巣の乱が起きた背景と意義を紹介しました。
科挙に落ちた受験者の中には、自暴自棄になって反乱を起こす者がいました。
科挙に落ちた者が起こした反乱として有名なのが黄巣の乱です。
黄巣の乱が鎮圧された後には、科挙合格者を黄河に投げ込む白馬の禍が起こりました。
科挙に注いだ情熱がどれだけ強かったのかがうかがえますね。
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