難関試験として世界的に有名な科挙。
科挙の合格者は官吏に登用され、将来が約束されます。
逆に、不合格者はどのような人生を歩んだのでしょうか。
科挙に落ちた受験者の行く先、黄巣の乱が起きた背景と意義を紹介します。
科挙に落ちたらどうなる?
紹介したように、科挙に合格したら官吏に登用され、一族も安泰な将来を約束されます。

科挙の合格者は、結婚相手としても引っ張りだこ。
既婚の合格者に、
「お金を渡すから、離婚してうちの娘と結婚してほしい」
とお願いする両親もいたそうです。
でも、科挙の合格率は0.3%。
受験者が1000人だとすると、たった3人しか合格できませんでした。
受験後、科挙の不合格者はどうしたのでしょうか。
① 潔く諦める
② 再挑戦する
③ 自暴自棄になる
科挙は男性しか受験できませんでした。
そのため、男の子が生まれると、両親は科挙に合格できるよう準備に取りかかりました。
3歳から漢字を勉強し、6歳から塾に通って「四書五経」を暗記。
暗記し終えたら関連書籍を読みました。
① 論語、大学、中庸、孟子の四書
② 易経、詩経、書経、礼記、春秋の五経
からなるもの。科挙に合格するためには、9つの経典を合わせた43万文字を暗記しなければいけませんでした。
受験戦争が激化すると、妊娠中から四書五経を読み聞かせる母親が登場しました。
幼い頃から、科挙に合格するための生活を送ってきた受験者。
科挙に落ちたら、自暴自棄になる受験者が現れて当たり前です。
中には、科挙を実施している国に不満を抱き、反乱を起こす者がいました。
落ちた人が起こした黄巣の乱の背景と意義
科挙に落ちた人が起こした反乱で、有名なのが黄巣の乱です。
黄巣の乱が起きた背景と意義をみていきましょう。
背景
黄巣は835年生まれで、曹州(山東省菏沢市)出身。

科挙に合格するには多大な時間とお金が必要でした。
黄巣は受験者として有利な立場にいました。
ところが、科挙を受けても受けても、黄巣は合格できません。
諦めた黄巣は秘密結社をつくって、塩の密売人になります。
そして、874年、国に不満を抱いていた王仙芝と共に反乱を起こしました。
そのため、全国から反乱者が集まり、反乱は大規模なものになりました。
唐は反乱を鎮圧するために、王仙芝を取り込むことにします。
王仙芝に「官職を与える」と言ったんです。

一方、黄巣は唐から声をかけられませんでした。
王仙芝は唐の提案を拒みましたが、黄巣との溝は深まるばかり。
やがて、黄巣と対立することになりました。
黄巣と対立した王仙芝は、唐に「官職を与えてくれれば、味方をする」と言います。
でも、一度拒まれた唐は王仙芝の申し出を聞き入れませんでした。
878年、王仙芝は黄梅(湖北省黄岡市)で戦死しました。
第21代皇帝・僖宗(李儼)は長安から蜀(四川省成都市)へ逃亡しました。
黄巣は斉を建国して、皇帝に即位します。
ところが、黄巣は政治に疎く、民心を掴むことができませんでした。
黄巣に愛想をつかした部下・朱全忠は唐に寝返り、黄巣一族は唐軍に殺されました。

この後、朱全忠は唐に反旗を翻します。
朱全忠は汴州(河南省開封市)を都に定めて、後梁を建国しました。
後梁の国務大臣は科挙に落ちた李振。
李振は科挙合格者を憎み、黄河に投げ込むなど、粛清しました(白馬の禍)。
意義
☑ 受験者にとって、安泰な将来を得られる
☑ 国にとって、優秀な官吏を集められる
方法だった科挙はWin-Winな制度。
でも、科挙に落ちた人にとって、科挙は人生を棒に振る制度でしかありませんでした。
落ちた人が起こした反乱や粛清を行い、科挙が国に不満を抱く者を増やすものであることが露呈しました。
まとめ:科挙は優秀な官吏と反乱者を生み出した
科挙に落ちた受験者の行く先、黄巣の乱が起きた背景と意義を紹介しました。
科挙に落ちた受験者の中には、自暴自棄になって反乱を起こす者がいました。
黄巣の乱が鎮圧された後には、科挙合格者を黄河に投げ込む白馬の禍が起こりました。
科挙に注いだ情熱がどれだけ強かったのかがよくわかりますね。
時の流れと共に移り変わるシステムを理解するのが難しいのに、科挙は歴史の重要用語です。科挙について知りたい方は、宮崎市定著「科挙 中国の試験地獄」がおすすめ。
また、科挙の受験資格、試験内容から不正行為まで網羅されていて、こちらの本一冊で十分理解できます。ぜひ一度、「科挙 中国の試験地獄」を読んでみてください。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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