【唐】則天武后(武則天)が洛陽を重視した理由と遷都の経過、与えた影響

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唐の都として知られる長安(現在の西安市)。
ただ、武周王朝を建国した則天武后は、長安から洛陽に遷都しました。

則天武后武則天)が洛陽重視した理由遷都経過与えた影響をわかりやすく紹介します。

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則天武后(武則天)が洛陽を重視した理由

長安から洛陽に遷都した則天武后。
則天武后が洛陽を重視した背景には、政治・経済・宗教など、さまざまな要因がありました。

長安は貴族勢力の影響が強かった

唐の都である長安では、「関隴貴族」と呼ばれる有力貴族が大きな勢力をもっていました。

関隴貴族は唐王朝の建国にも深く関わった名門一族。
時には、皇帝を上回る発言権をもち、政治の中心を占めていました。

関隴貴族には保守的な官僚が多く、女性でありながら権力を拡大する則天武后に反発心を抱いていました。

則天武后
則天武后

自らの権力基盤を築くためには、既存の貴族勢力から離れなければいけません。
そこで、則天武后は自身の権力基盤を築くために洛陽に遷都します。

洛陽は長安から比較的近いものの、関隴貴族の勢力が強くありません。
則天武后にとって政治を進めやすい環境でした。

洛陽は経済的に発展していた

政治都市として発展していた長安には、民が続々と集まりました。
ただ、人口の急速な増加に食糧調達が追い付かず、物資を遠方から運ぶ必要がありました。

則天武后が注目した洛陽は黄河流域に位置します。
稲作農業の発達によって食糧の大量生産が可能となり、中国経済の中心は南方へ移りつつありました。

洛陽は大運河を通じて江南地域とつながっているため、物資を輸送するのにも便利。
則天武后の洛陽遷都は国家を経済的に安定させるための選択でもありました。

洛陽には歴史的権威があった

後漢や魏、西晋、北魏など、多くの王朝が都に選んだ洛陽。
則天武后は武周王朝を建国する時、洛陽の歴史的権威を利用しようと考えました。

中国史上唯一の女帝である則天武后は、正統性の問題を抱えていました。
そこで、則天武后は古代王朝の都である洛陽に建国することで、自らの支配を正当化しようとしました。

また、洛陽は仏教文化が発展していました。
仏教を政治に利用したい則天武后にとって、洛陽に遷都することは好都合でした。

遷都の経過

則天武后が建国した武周王朝の首都となった洛陽。
ただ、唐の第3代皇帝・高宗(李治)の治世から、洛陽の重要性は既に高まっていました。

長安から洛陽に遷都するまでの経過をみていきましょう。

高宗の治世から洛陽利用は始まっていた

則天武后による洛陽重視は、突然始まったわけではありません。
実は、夫である高宗の治世から、唐王朝は洛陽をたびたび利用していました。

幼い頃から体が弱かった高宗。
高宗は気候や環境の観点から長安より洛陽を好んでいました。

晩年には、洛陽に移動して政務をおこなう機会が増えます。
洛陽は既に唐の副首都として機能していました。

武周建国と洛陽

天授元年(690年)、則天武后は自ら皇帝となり、武周王朝を建国しました。
この時、則天武后は洛陽を事実上の首都としました。

紹介したように、長安は唐王朝の都であり、李氏一族や関隴貴族の影響力が強い都市です。
一方、洛陽は則天武后が新たな政治体制を築くのに適した都市でした。

則天武后
則天武后

つまり、長安から洛陽に遷都することは、「唐から周への転換」を意味しました。

また、則天武后は洛陽で「明堂」の建設を始めます。
明堂は古代中国において天子の権威を象徴する巨大建築。

則天武后は明堂を建設して、自らが正統な皇帝であることを示そうとしました。
さらに、「天堂」と呼ばれる巨大仏塔を建設し、自ら権威を示しました。

洛陽を中心とした政治の確立

長安から洛陽に遷都すると、多くの官僚や知識人も当然洛陽に集まります。

洛陽は都市として大きく発展し、新しい政治体制の中心地として機能しました。

遷都が与えた影響

則天武后による洛陽遷都は、単に都が変わっただけはありません。
洛陽遷都は具体的にどのような影響を与えたのでしょうか。

皇帝権力の強化につながった

紹介したように、長安では門閥貴族が大きな権力をもっていました。

洛陽に遷都し、貴族勢力から距離を置いた則天武后。
自身に忠実な官僚と一緒に政治をおこない、皇帝の権力を強化させました。

これは、中国史における中央集権化を進める重要なきっかけとなりました。

洛陽が大都市として発展した

洛陽は既に経済的に発展した都市でしたが、遷都以降は政治や文化の中心として大きく発展します。

・宮殿や寺院の建設が進む
・シルクロード交易や江南経済との結びつきが強まる
など、多くの人々が集まる国際都市となりました。

また、龍門石窟などの仏教文化も発展し、洛陽は中国有数の大都市へと成長しました。

唐の政治構造に変化を与えた

政治の中心を洛陽にうつしたことで、貴族の勢力が弱まります。

貴族に代わって台頭したのは、則天武后によって採用された科挙官僚。
これは後に誕生する文治政治のきっかけとなりました。

つまり、則天武后の政策は、一時的な遷都政策ではなく、中国政治の方向性そのものを変えました。

まとめ:則天武后にとって、洛陽遷都は必要不可欠!

門閥貴族から距離を置く、交通網と歴史的権威を活用するために、洛陽に遷都した則天武后。

武周王朝の都となった洛陽は、新しい政治体制の地として発展します。
その結果、皇帝権力の強化や科挙官僚を中心とした政治が進み、後世に大きな影響を与えました。

則天武后の洛陽遷都は、単に都が変わっただけでなく、中国史上重要な改革だったのではないでしょうか。

私が則天武后に興味をもったきっかけは、中国時代劇を配信サービスで見たことでした。
映像で見ると人物や時代の雰囲気がつかみやすく、その後に本を読むと理解がぐっと深まります。

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