則天武后(武則天)は美人だった?男性を虜にした逸話と美容法

中国史上唯一の女帝・則天武后。
男尊女卑の古代中国で、一介の側室から皇帝にまでのぼり詰めるには、男を魅了する力があったはず。

① 唐王朝当時の美人の基準
② 則天武后(武則天)が皇帝親子や若きイケメンを夢中にさせた驚きのエピソード
③ 晩年まで若さを保った美容法
をわかりやすく紹介します。

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則天武后(武則天)は美人だった?

則天武后が生きた唐の時代は、私たちが生きる現代とは「美人の基準」が大きく異なります。

唐の時代における美人の基準をおさえたうえで、則天武后が美人だったかどうかをみていきましょう。

現代とは違う?唐王朝当時の美人の基準

現代の美女は「小顔でシャープな輪郭、スレンダーな体型」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
でも、唐王朝の時代はまったく逆の容姿が美女とされていました。

当時のトレンドは、「健康的なふくよかさ。丸みを帯びた顔立ちと体付き」。
国が豊かで、文化も成熟していた唐王朝では、ふくよかさが「富と気品」の象徴でした。

則天武后の容姿

それでは、則天武后はどのような容姿だったのでしょうか。
歴史書によると、則天武后の容姿は「方額広頤(ほうがくこうい)」と表現されています。

方額広頤とは、
・方額(ほうがく): おでこが四角く、広く張り出している(知性の象徴)
・広頤(こうい): あごのラインが豊かで、ふっくらと肉付きが良い

つまり、則天武后は当時の美人の基準をすべて満たした女性だったんです。
ふっくらした豊かな身体から存在感と色気があふれる女性だったにちがいありません。

則天武后の容姿がモデル?龍門石窟の「盧舎那仏」

則天武后の顔立ちを想像するヒントは、洛陽にある世界遺産「龍門石窟」の盧舎那仏。
高さ約17メートルもの巨大な盧舎那仏は、則天武后が私財をつぎ込んで造営させたもの。

盧舎那仏の顔は則天武后をモデルにして彫られたといわれています。

ふっくらとした頬に、気品のある涼しげな目元。
優しさとすべて見透かすような強い意志をもった口元。

則天武后
則天武后

則天武后が威厳に満ちた絶世の美女だったことをよく表現しています。

自らの容姿を神聖な仏の姿として後世に残したい。
そう考えるほど、則天武后は絶対的な自信をもっていたのではないでしょうか。

則天武后が男性を虜にした逸話

いくら見た目が美しくても、それだけで激しい権力闘争を生き抜くことはできません。
則天武后はその美貌を武器に、出会った男性たちの運命をガラリと変えてしまいました。

① 唐の第2代皇帝・太宗(李世民)
② 唐の第3代皇帝・高宗(李治)
③ 美少年・張兄弟
それぞれの男性との間に残された驚きのエピソードを紹介します。

14歳で太宗を惹きつけた

わずか14歳で、太宗の後宮に入った則天武后。
後宮入りする女性はみんな美人でしたが、則天武后は太宗の目にすぐに留まりました。

則天武后
則天武后

太宗が則天武后に贈った愛称は「媚娘(びじょう)」。
これは「チャーミングな女の子」、「男性を惑わせる美しい娘」という意味です。

でも、則天武后はただ可愛いだけの女性ではありません。

あるとき、誰も太宗が所有する気性の荒い名馬を乗り込ませんでした。

すると、則天武后は、

則天武后
則天武后

私に鉄の鞭、槌、短刀をください。
まず鉄の鞭で打ち、従わなければ槌で頭を叩きます。

それでもダメなら短刀で喉を掻き切ります。

と言います。

太宗は則天武后のこの発言に知性と度胸を感じ、則天武后に強く惹きつけられました。

太宗の息子・高宗をも惹きつけた

太宗が亡くなると、当時の慣習に従って、則天武后は出家させられます。
尼寺でひっそりと暮らすことになりました。

則天武后が一般的な女性であれば、ここで人生は終わりでした。

でも、則天武后に強く惹きつけられていたのは、太宗だけではありません。
太宗の息子であり、第3代皇帝となった高宗もまた、則天武后に恋をしていました。

高宗は父の法要で尼寺を訪れ、髪を剃った則天武后と再会。
周囲の猛反対を押し切り、高宗は則天武后を後宮へと連れ戻します。

そして、最終的には、皇后に冊立してしまいました。

真面目で気弱な性格の高宗を狂わせるほど、則天武后の包容力と色気はすごかったのではないでしょうか。

晩年には美少年・張兄弟をはべらせた

高宗の死後、ついに自ら皇帝となって、武周王朝を建てた則天武后。

このとき、則天武后は既に60代後半に入っていました。

則天武后
則天武后

でも、則天武后の男性を惹きつける力は衰えるどころか、さらに加速します。

晩年に則天武后が最も寵愛したのが、張易之・昌宗兄弟。
二人は20歳前後で、誰もがほれぼれするイケメンの美少年でした。

則天武后は二人に高い官職を与え、昼夜を問わずはべらせました。

中には、「高齢女性が若い男を近くにおくなんて見苦しい」と批判する家臣もいました。
でも、則天武后は張兄弟をそばにおいて、二人からエネルギーを吸収しました。

則天武后の美容法

おばあさんになっても美少年を虜にし、国のトップとして政務をこなしていた則天武后。
歴史書には、「則天武后の肌はツヤツヤで若々しく、白髪もほとんどなかった」と記録されています。

現代のような高度な美容医療はありません。
なぜ、そこまでのアンチエイジングが可能だったのでしょうか。

則天武后が独自に開発させた秘伝の漢方薬と、脳と心のコントロール術に迫ります。

秘伝の美白洗顔パック「神仙玉女粉」

実は、則天武后の美肌を支えていたスキンケア方法が、歴史書に詳しく記録されています。
特注で作らせた秘伝の美白洗顔パック「神仙玉女粉」です。

この粉のメイン成分は、「益母草」というシソ科のハーブで、製造方法は手が込んでいました。

【神仙玉女粉】の作り方
① 端午の節句の日に、根ごと益母草を収穫する
② 泥を綺麗に落とし、水は使わずに乾燥させる
③ これを土製のかまどに入れ、炭火でじっくりと焼き、炭化させる
④ 焼き上がったものを非常に細かい粉末にし、数日間かけて何度も精製する
⑤ おしろいや水分と混ぜて、ドロドロのパック状にする。

則天武后はこれを毎朝毎晩、顔や手を洗う際に使用していました。

益母草には血行を良くし、肌のターンオーバーを整え、シミやシワを防ぐ効果があります。

まるで20代の少女のような肌をしていた則天武后。
一つの美容法を何十年もやり続ける、則天武后の美に対する執念がうかがえます。

ポジティブな気のもち方

則天武后の若さの秘密は、スキンケアだけではありません。

 

女官
女官

「病は気から」という言葉がありますよね。
中国の伝統的な医学や思想では、万物の根源である「気」のめぐりが重視されます。

 

則天武后は物事をポジティブにとらえていました。
また、「自分が世界の中心であり、絶対的な支配者である」という強い自己肯定感をもっていました。

皇后や自分の息子であっても、自分に刃向かう者をとことん粛清した則天武后。
我慢やモヤモヤをため込まない生活を送りました。

何事にも動じない強いメンタルが自律神経を安定させていたのではないでしょうか。

男性へのときめきで、女性ホルモンを活性化!

夫・高宗の死後、則天武后は愛人を次々とつくります。
男性に心をときめかせると、脳が刺激され、エストロゲンやオキシトシンなどのホルモンが分泌されます。

周囲の目をいっさい気にせず、男性にときめき続けた則天武后。
常に一人の女性としてみずみずしい感性を保ち続けることこそ、イイ女に必要な条件かもしれません。

まとめ:則天武后は見た目も内面もカリスマ美女だった!

圧倒的な存在感と美肌、色気を兼ね備えていた則天武后。
則天武后が多くの男性を虜にできたのは、生まれもった容姿が優れていたからだけではありません。

美に対する執念、気のもち方、異性へのときめき。
現代を生きる私たちにも、どこか惹かれ、参考になるところがあるのではないでしょうか。

私が則天武后に興味をもったきっかけは、中国時代劇を配信サービスで見たことでした。
映像で見ると人物や時代の雰囲気がつかみやすく、その後に本を読むと理解がぐっと深まります。

中国時代劇を楽しみたい方向けに、おすすめの動画配信サービスをまとめた記事はこちら。
→ 武則天(則天武后)のドラマはどこで見られる?配信サービスを徹底比較

則天武后についてもっと知りたい方向けに、おすすめの書籍を紹介した記事はこちら。
→ 則天武后を学ぶ!わかりやすいおすすめ本5選と選び方
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