「武則天 -The Empress-|テレQ – TVQ九州放送」より引用
ドラマ「武則天-The Empress-」で、おとなしそうに見せかけて、陰で悪事を企む殷徳妃。
実は、殷徳妃はドラマ上の人物で、史実上では陰妃といいます。
唐の第2代皇帝・太宗の側室・陰妃は、実際、どのような人物だったのでしょうか。
陰妃の生涯、ドラマの設定との違いを紹介します。
陰妃の生涯
陰妃は涼州武威(現在の甘粛省武威市)の出身。
太宗の側室になる
隋末期、陰世師は楊侑(後の隋の第3代皇帝・恭侑)と共に、長安城の留守をしていたところ、李淵(後の唐の初代皇帝・高祖)が挙兵し、隋に反旗を翻しました。
陰世師は李淵の第5皇子・李智雲を捕らえ、処刑しました。
また、李淵の祖父・李虎、父・李昞の墓を暴きました。
李淵が長安を陥落すると、陰世師は捕らえられて処刑されました。
陰世師には、二人の子ども・陰妃、陰宏智がいましたが、二人とも幼かったため、処刑を免れました。
陰妃は太宗の側室として宮廷入りしました。
李祐を出産
621年、陰妃は太宗の第5皇子・李祐を出産。
出産後、正式に后妃となりました。
李祐が反乱を起こす
643年、李祐と陰宏智が斉州(現在の山東省済南市)で挙兵し、反乱を起こしました。
ドラマの設定との違いは?
ドラマ「武則天-The Empress-」では、陰妃はどのような人物設定なのでしょうか。
① 殷徳妃(後宮では、上から3番目という立ち位置)
② 太宗との間に、李祐を授かっている
③ 李祐と生き別れになり、李祐の運命を握る韋貴妃の言いなりになっている
④ 李祐と弟・殷宏智が反乱を起こす
⑤ 李祐を助けるために、太宗の食事に毒を盛り、暗殺を謀る
⑥ 太宗の暗殺に失敗し、池で入水自殺する
です。
紹介したように、史実では、殷徳妃ではなく陰妃です。
そして、韋貴妃が後宮のトップとはいえ、李祐の運命を握っているとは考えにくいです。
また、陰妃が処刑されたのか、自害したのか、それとも、二人が反乱を起こす前に亡くなっていたのかは分かっていません。
ただ、太宗との間に授かった李祐と弟・宏智が反乱を起こしたという点は全く同じ。
李祐の反乱について知りたい方は、ドラマ(第14話から第16話)を見てみてはいかがでしょうか。
まとめ
陰妃の生涯、ドラマの設定との違いを紹介しました。
陰妃の父・陰世師は李淵の第5皇子・李智雲を殺したり、先祖の墓を暴いたりしましたが、陰世師の子どもである陰妃と陰宏智は処刑を免れ、陰妃は太宗の側室として宮廷入りしました。
陰妃は李祐を出産しましたが、李祐と陰宏智が反乱を起こし、二人は処刑されてしまいました。
陰妃が処刑されたのか、自害したのか、それとも、二人が反乱を起こす前に亡くなっていたのかは分かっていません。
父の敵である太宗の側室になり、李祐を授かった陰妃。
胸中は複雑だったと思いますが、母として李祐を大切に思っていたことは間違いないですね。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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