【唐】賀蘭敏之ってどんな人?皇太子妃・楊氏を寝取った経緯と理由

唐の第3代皇帝・高宗と則天武后の間に誕生した皇太子・李弘には婚約者・楊氏がいましたが、賀蘭敏之が楊氏を寝取ってしまいました。

賀蘭敏之とは一体、どのような人物なのでしょうか。
また、何故、賀蘭敏之はそのようなことをしたのでしょうか。

賀蘭敏之が皇太子・李弘から皇太子妃・楊氏を寝取った経緯、理由を紹介します。

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賀蘭敏之ってどんな人?

賀蘭敏之は642年生まれで、則天武后の姉・韓国夫人と死別した夫・賀蘭安石の間に誕生した第1子です。

則天武后は賀蘭敏之を武氏の後継ぎにしたいと考えていたため、武氏を与え、後継ぎとして恥ずかしくないよう、周国公に封じました。
また、賀蘭敏之は文才に優れていたため、弘文館学士に任命され、その後、太子賓客や検校秘書監を歴任しました。

賀蘭敏之には、楊氏という妻がいて、楊氏との間に授かった賀蘭琬は太僕卿に任命されました。

すけさん
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則天武后から気に入られ、親子そろって高い官職に就くことのできた賀蘭敏之でしたが、一つだけ欠点がありました。

坊っちゃん
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それは女たらしだったこと。

妻がいながら、高宗と則天武后の愛娘・太平公主の侍女に手を出し、則天武后の怒りを買ったことがありました。

おゆう
おゆう

侍女だけでなく、太平公主本人や祖母・栄国夫人に手を出したという話も伝わっています。

皇太子妃・楊氏を寝取った経緯

紹介したように、高宗と則天武后の間に誕生した皇太子・李弘には、婚約者・楊氏がいました。
賀蘭敏之が李弘から楊氏を寝取った経緯を4つに分けて紹介します。

皇太子妃候補・楊氏

わずか3歳で皇太子になった李弘は文武両道で、温和な性格。
将来を期待された李弘が20歳になった頃、高宗と則天武后は楊氏を皇太子妃に迎えることにしました。

楊氏の父は司衛少卿・楊思倹で、家柄に申し分はなく、また、本人は美人で有名。

おゆう
おゆう

李弘が楊氏と結婚することが発表されると、宮中や街中はおめでたい雰囲気に。

李弘は楊氏と会うのを楽しみにしていました。

賀蘭敏之と楊氏の出会い

李弘が楊氏と結婚することを知った賀蘭敏之は、楊氏に会いに行くことにしました。

ややこしいですが、李弘と結婚する楊氏は、賀蘭敏之の妻・楊氏とは別人です。
おゆう
おゆう

何故、賀蘭敏之は楊氏に会いに行ったのでしょうか?

実は、李弘と結婚する前に、楊氏を自分のものにしておきたかったんです。

賀蘭敏之は李弘だと偽って、楊氏を訪ね、一緒に食事したり、詩文を披露したりしました。
楊氏は李弘と名乗る賀蘭敏之に一目惚れし、楊氏は李弘との結婚がますます楽しみになりました。

衝撃の事実

結婚する日が近付き、李弘は楊氏に挨拶しに行くことになりました。
楊氏は「何度も会っているのに、今更挨拶なんて堅苦しい」と不思議に思いましたが、楊氏は李弘を見てビックリしました。


そこには初めて見る顔があったからです。

楊氏は混乱し、ひとまず李弘は軽く挨拶をして帰りました。

その日の夜、李弘が挨拶しに来たとは知らず、賀蘭敏之は楊氏を訪ねました。
楊氏は賀蘭敏之に名前を尋ね、賀蘭敏之が李弘とは別人だと初めて知りました。
怒り号泣する楊氏に、賀蘭敏之は「皇太子妃にはなれないね」と声をかけて去りました。

縁談は白紙に

楊氏に挨拶をした李弘は、高宗と則天武后に楊氏の様子が変だったことを報告しました。

おゆう
おゆう

則天武后が楊氏に何があったのか問い詰めたところ、賀蘭敏之が李弘と偽って楊氏と会っていたことが判明。

李弘と楊氏の縁談は白紙になりました。

皇太子妃・楊氏を寝取った理由

賀蘭敏之が李弘と偽って楊氏を寝取る前、母・韓国夫人が亡くなりました。
韓国夫人は高宗の寵愛を受け、嫉妬した則天武后に毒殺されてしまったんです。

母を殺された賀蘭敏之は、則天武后に復讐する機会を狙っていました。
復讐するといっても、則天武后を直接傷つけるわけではなく、則天武后が大事にしている子どもを苦しめて、間接的に傷つけようと考えたんです。

李弘は李氏の後継ぎ。

紹介したように、則天武后は賀蘭敏之に武氏を与えて、武氏の後継ぎにしようと考えていました。

おゆう
おゆう

賀蘭敏之は則天武后から気に入られていることを逆手に取り、楊氏に手を出したのかもしれません。

でも、則天武后は賀蘭敏之を許さず、雷州(広東省湛江市)に流罪としたうえで、部下に殺させました。

まとめ

則天武后の甥・賀蘭敏之が皇太子・李弘から楊氏を寝取った経緯、理由を紹介しました。

李弘が楊氏と結婚すると知った賀蘭敏之は、李弘と偽って、楊氏と密会を重ねました。
賀蘭敏之が楊氏と密会した理由は、則天武后への復讐。
則天武后に母・韓国夫人を殺された賀蘭敏之は、則天武后の大事な子どもを傷つけて復讐しました。

全く関係がないのに、賀蘭敏之の復讐に巻き込まれた李弘と楊氏。
後に、李弘は左金吾将軍・裴居道を父にもつ裴氏と結婚しましたが、楊氏が結婚できたかどうかは分かりません。

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