【唐】則天武后が姉・韓国夫人と姪・魏国夫人を殺した理由は?

中国のトップに立つために、則天武后が自分の子どもを殺したというエピソードは有名ですよね。

でも、則天武后が殺したのは、自分の子どもだけではありません。
自分の姉・韓国夫人とその娘、つまり、姪・魏国夫人も殺したといわれています。

おゆう
おゆう

則天武后は三姉妹で、韓国夫人が長女、則天武后が次女、三女は幼くして亡くなりました。
則天武后にとって、韓国夫人は大切な姉で、その娘である魏国夫人も可愛い姪だったはず。

何故、則天武后は韓国夫人と魏国夫人を殺したのでしょうか。

則天武后が姉・韓国夫人と姪・魏国夫人を殺した理由を紹介します。

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則天武后が姉・韓国夫人を殺した理由

則天武后が韓国夫人を殺した理由は3つあります。

韓国夫人が高宗の寵愛を受けたから

則天武后は唐の第三代皇帝・高宗の父・太宗の側室で、太宗が崩御すると感業寺に出家しました。
感業寺で高宗と密会を重ねるうちに、第1子・李弘を身ごもりました。

おゆう
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高宗は則天武后の存在を妻・王皇后に打ち明けられず、則天武后は感業寺で出産しました。

則天武后が出産した時、姉・武順(後の韓国夫人)は則天武后の身の回りのお世話をしました。
武順には賀蘭越石という夫がいましたが、賀蘭越石は既に亡くなっていました。

お嬢ちゃん
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つまり、武順は未亡人。

暇をもてあましていた武順は、則天武后の代わりに李弘を育てました。
自然と顔を合わせる機会が多かった高宗と武順は、距離がだんだん近くなって恋仲になりました。

李賢の本当の母は韓国夫人だという噂が広がったから

高宗は則天武后との間に子どもを授かったことを王皇后に打ち明け、則天武后は宮廷入りしました。

この時、姉・武順には韓国夫人の称号が、母・楊夫人には栄国夫人の称号が与えられ、2人は宮廷を自由に出入りできるようになりました。

李弘を出産した2年後、則天武后は第2子・李賢を身ごもりました。

出産予定日が近付いたある日、高宗と則天武后は父・太宗の墓参りに行くことにしました。
韓国夫人は身重の則天武后に付き添いました。
墓参りから宮廷に帰る道中、則天武后は産気づいて李賢を出産しました。

おゆう
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則天武后の出産に立ち会ったのは韓国夫人ただ一人。

お嬢ちゃん
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高宗と韓国夫人が恋仲であることは周知の事実。

李賢は韓国夫人が産んだ子どもだという噂が広がってしまいました。

則天武后の面子は丸つぶれ。
則天武后は韓国夫人を恨みました。

韓国夫人が高宗の子どもを身ごもったから

高宗の妻であり、韓国夫人の妹である則天武后が、二人が恋仲であることに気付かないわけがありません。

おゆう
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でも、則天武后は身体の弱い高宗の代わりに政務を行っていて、二人の関係に構う暇がありませんでした。

則天武后が政務に一生懸命励んでいる最中、なんと、韓国夫人が高宗の子どもを身ごもりました。

身ごもった子どもが男児であれば、将来、自分の子どもと後継ぎ争いが起きるかもしれません。

韓国夫人が高宗の寵愛を受けていることに嫉妬し、李賢は韓国夫人が産んだ子どもだという噂が広がって面子をつぶされていた則天武后は堪忍袋の緒が切れました。
韓国夫人のお腹に高宗の子どもがいるにもかかわらず、則天武后は韓国夫人の食事に毒を盛って殺してしまいました。

則天武后が姪・魏国夫人を殺した理由

紹介したように、韓国夫人は夫・賀蘭越石を亡くしていましたが、韓国夫人には息子・敏之と娘・敏月(後の魏国夫人)がいました。

韓国夫人が高宗の子どもを身ごもり、宮中に留まることになった時、年頃の娘を家に置いておくのはと心配しました。
そこで、自分の身の回りのお世話を兼ねて、敏月が宮廷を自由に出入りできるように、高宗に頼み込みました。

お父さんのいない敏月を不憫に思った高宗は、敏月に魏国夫人の称号を与え、韓国夫人の頼みを聞き入れて、宮廷を自由に出入りすることを許可しました。

毎日のように宮廷を訪れる魏国夫人と顔を合わせる高宗。
魏国夫人の容姿は昔の則天武后にそっくりで、高宗は魏国夫人を寵愛し始めました。

おゆう
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則天武后が韓国夫人を殺すと、魏国夫人は則天武后に復讐するために高宗を誘惑し、寵愛を一身に受けるようになりました。

韓国夫人だけでなく、魏国夫人まで寵愛を受けていると知った則天武后は怒り心頭。
則天武后は魏国夫人の食事に毒を盛って殺してしまいました。

まとめ

則天武后が姉・韓国夫人と姪・魏国夫人を殺した理由を紹介しました。

則天武后が韓国夫人を殺した理由は、
① 韓国夫人が高宗の寵愛を受けたから
② 李賢の本当の母は韓国夫人だという噂が広がったから
③ 韓国夫人が高宗の子どもを身ごもったから
の3つです。

また、則天武后が魏国夫人を殺した理由は、魏国夫人が高宗の寵愛を受けたからです。

つまり、則天武后は韓国夫人と魏国夫人に嫉妬し、高宗を奪われるのではないかと焦って、二人を殺してしまいました。
子どもだけでなく、姉や姪を殺さなければ、自分の立場を守ることができない時代ならではですね。

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