【唐】則天武后(武則天)が長孫無忌を粛清した理由と経過、与えた影響

中国史上唯一の女帝として知られる則天武后。
ただ、則天武后は最初から高い地位や大きな権力を手にしていたわけではありません。

始まりは唐の第2代皇帝・太宗(李世民)とその息子・高宗(李治)の側室でした。

則天武后は数々の権力闘争を勝ち抜いて頂点に立ちます。
その過程で、則天武后が最初に排除した人物は重臣・長孫無忌でした。

則天武后武則天)が長孫無忌粛清した理由経過与えた影響を紹介します。

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則天武后が長孫無忌を粛清した理由

則天武后が長孫無忌を粛清した理由は、長孫無忌が邪魔者だったからです。
では、則天武后にとって、長孫無忌はなぜ邪魔者だったのでしょうか。

長孫無忌は太宗の義兄だった(外戚)

唐の第2代皇帝・太宗とその息子・高宗の2代にわたってに仕えた長孫無忌。
実は、太宗の正室・長村皇后は長孫無忌の妹でした。

皇后という立場を利用することなく、太宗の側室にも優しく接した長孫皇后。
長孫皇后とその兄・長孫無忌は太宗から深く信頼されていました。

長孫皇后は36歳の若さで亡くなりますが、長孫無忌は変わらず太宗に仕えました。

長孫無忌の太宗期における権力の確立(功臣)

武徳9年(626年)に起きた玄武門の変。
唐の初代皇帝・高祖(李淵)の後継者争いで、太宗は長孫無忌と一緒に兄弟を暗殺します。

功績を称えられた長孫無忌は太子左庶子に昇進。
一番近い重臣として、当時皇太子だった太宗を支えました。

長孫無忌は自身の能力、太宗との姻戚関係によって、政治の中枢で働き続けました。

長孫無忌の高宗期における権力の確立(重臣)

太宗の死後、即位した高宗のもとでも重臣として権力を維持した長孫無忌。
長孫無忌の3人の子どもは朝散大夫(従五品下)になりました。

則天武后
則天武后

太宗、高宗の2代にわたって仕えた長孫無忌は、
① 外戚:太宗の義兄、高宗の伯父だった
② 功臣:玄武門の変で功績をあげた
③ 重臣
という3つを兼ね備え、朝廷で圧倒的な影響力をもっていました。

長孫無忌は則天武后の皇后冊立に反対した

高宗の寵愛を受けて、頭角を現したのが側室・則天武后。

高宗には正室・王皇后がいましたが、先に則天武后が皇子を授かります。
王皇后が子どもを授からないことを理由に、則天武后は皇后に就こうとしました。

これに強く反対したのが長孫無忌でした。

則天武后が長孫無忌を粛清した経過

皇后に就きたかった則天武后にとって、長孫無忌は最大の障害でした。
また、長孫無忌にとって、則天武后は自身の権力を脅かす存在でした。

則天武后と長孫無忌の対立は、朝廷全体を巻き込む権力闘争に発展していきました。

長孫無忌を尊敬し、信じる高官もいれば、長孫無忌を妬む高官もいます。
また、則天武后に取り入る高官もいれば、則天武后を嫌う高官もいます。

則天武后は長孫無忌を妬む高官を取り込み、長孫無忌は古くからの友人を集めました。

則天武后
則天武后

仲間を集めた2人の対立は激化しましたが、則天武后が一枚上手。

則天武后は正面から対決するのではなく、長孫無忌を段階的に追い詰めていきました。
長孫無忌を妬む高官を側近にして、長孫無忌の影響力を削ぎ、朝廷内で孤立させます。

さらに、反逆の疑いをかけて、不義を徹底的に追及しました。

顕慶4年(659年)、長孫無忌は黔州(重慶市彭水県)へ流されます。

流された後も、長孫無忌に対する弾劾は止まらず、長孫無忌は自害しました。

単なる失脚ではなく、長孫氏一族の政治生命を完全に絶つ粛清でした。

則天武后による長孫無忌の粛清が与えた影響

則天武后による長孫無忌の粛清が与えた影響は5つあります。

貴族政治の転換点

関隴集団の中でも、特に名門の出身だった長孫無忌。
長孫無忌の粛清は、唐初期を支えた関隴貴族勢力の衰退を象徴する出来事でした。

長孫無忌のような名門出身の重臣が排除され、血縁や家柄を重視した政治体制が大きく揺らぎます。
血縁や家柄ではなく、能力を重視する新しい官僚層が台頭するきっかけになりました。

則天武后の権力確立

最大の政敵・長孫無忌を排除した則天武后は、高宗の正室になります。

高宗在位中から則天武后は政治の実権を掌握。
高宗の死後、則天武后は自ら皇帝として即位しました。

恐怖政治と統制の強化

長孫無忌のような政敵を生み出してはいけない。
反対勢力に対して、則天武后は有無を言わせない厳しい弾圧を行います。

密告制度の採用や厳罰によって、政敵を次々と排除し、朝廷には緊張と恐怖が広がりました。

官僚制度の変化

高宗在位中から政治手腕を見せていた則天武后。
則天武后は科挙を重視し、能力を重視して人材を登用します。

これにより、地方出身の人材や新しい官僚が活躍する機会が広がりました。

歴史的評価

則天武后による長孫無忌の粛清は、冷酷な権力闘争として長年批判されてきました。

一方で、近年では政治体制の変革をうながした出来事として評価されつつあります。

まとめ:長孫無忌の粛清は唐の権力構造を大きく変えた!

外戚、功臣、重臣として、朝廷で圧倒的な影響力をもっていた長孫無忌。
一方、太宗と高宗の側室として出発した則天武后。

則天武后による長孫無忌の粛清は、貴族政治を揺るがし、唐の権力構造を大きく変えました。

長孫無忌の粛清は、個人間の対立を超えた、時代の転換を象徴する歴史的事件でした。

私が則天武后に興味をもったきっかけは、中国時代劇を配信サービスで見たことでした。
映像で見ると人物や時代の雰囲気がつかみやすく、その後に本を読むと理解がぐっと深まります。

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