【唐】則天武后(武則天)の恐怖政治とは?密告制度と酷吏の実態、与えた影響

唐の第3代皇帝・高宗(李治)の死後、女帝となって武周王朝を建てた則天武后。
則天武后は卓越した政治手腕を発揮した一方で、民の心を支配する恐怖政治を行いました。

その支配を支えたのが、密告制度と「酷吏」と呼ばれる官僚たちです。
酷吏は徹底した取り締まりと弾圧を行い、社会に強い緊張と恐怖をもたらしました。

則天武后武則天)の恐怖政治密告制度酷吏実態社会後世に与えた影響を紹介します。 

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則天武后の恐怖政治とは?

中国史上唯一の女帝・則天武后。
後ろ盾をもたない則天武后の地位は決して安泰なものではありませんでした。

則天武后が恐怖政治を行った背景

当時の政治環境には、
・伝統的な男系支配への強い固執
・李氏政権の正統性を支持する勢力
・貴族層の既得権益
など、則天武后に対する強い反発が存在していました。

このような厳しい状況の中で、権力を維持しなければならなかった則天武后。
則天武后は力で押さえつける恐怖政治を行う必要に迫られました。

恐怖政治の手法

則天武后の恐怖政治はやりたい放題の暴政ではありません。

① 反対する者の徹底排除
② 密告の奨励による監視社会の形成
③ 酷吏による迅速な取り締まり
の3つを組み合わせて、国全体に緊張感を張り巡らせます。

則天武后が重視したのは、「いつ、誰に見られているかわからない」という人々の緊張感。
人々は疑心暗鬼になり、反対の声をあげたくても我慢するしかありませんでした。

則天武后にとっての恐怖政治のメリット

国のトップは人々の心を支配する恐怖政治など行うべきではありません。

ただ、後ろ盾のない則天武后にとっては、
・意思決定の迅速化
・反乱の未然防止
・官僚の統制強化
などのメリットがあり、恐怖で秩序を維持するこの手法に頼ってしまいました。

密告制度の実態

恐怖政治を行ったといっても、則天武后が自ら人々に緊張感を与えたわけではありません。
則天武后の恐怖政治を支えた柱の一つが密告制度です。

密告制度の特徴と仕組み

則天武后
則天武后

密告制度には、次の3つの特徴があります。
① 身分に関係なく、誰でも告発が可能
② 匿名性が保たれる
③ 告発した者は報酬や昇進を得られる

誰が告発したかわからない密告制度によって、社会は相互監視状態に入ります。
家族や友人同士であっても安心できず、人々は常に言動を慎むようになりました。

密告制度が生み出した弾圧の連鎖

密告制度の恐ろしさは、一人が告発されて終わりではないこと。

告発された一人は激しい拷問を受け、自白を強要されます。
そして、共犯者がいてもいなくても、名前を挙げさせられます。

名前の挙がった人に激しい拷問を行い、自白を強要させる。
このような流れが繰り返され、人々の生活は強い緊張に包まれました。

酷吏の実態

密告制度の運用を任されたのが「酷吏」と呼ばれる官僚です。

告発された人に対して、厳しい拷問を行った酷吏。
則天武后から気に入られ、信頼されれば、安定した地位と生活が待っています。

酷吏はまさに恐怖政治の実行部隊でした。

酷吏・来俊臣

酷吏の中で、最も有名なのが来俊臣です。

女官
女官

① 罪を巧妙にでっちあげる
② 厳しい拷問によって自白を引き出す
という2つをひたすら行いました。

できるだけ多くの人を処罰しようと、尋問技術を体系化。
スピーディーに「罪人」を作り出す手法を確立したともいわれています。

酷吏・周興

来俊臣に続いて有名なのが周興。
周興は非常に残酷な拷問を行い、極限の恐怖を与えて自白を引き出しました。

人々から恨まれた周興はその後。
自ら考案した拷問を受ける立場になり、恐怖のあまり自白したという逸話があります。

より多くの摘発を行うことで評価される。
失敗すれば自らが粛清される。

酷吏の心には期待と不安が同時に存在していました。
このような環境の中で、酷吏の行動はだんだん過激化していきます。

その結果、恐怖政治を始めた則天武后も制御が難しくなりました。

与えた影響

則天武后の手足となって酷吏が行った密告制度。
密告制度による則天武后の恐怖政治は社会にどのような影響を与えたのでしょうか。

短期的な国家の安定

紹介したように、則天武后にとって恐怖政治は、
・意思決定の迅速化
・反乱の未然防止
・官僚の統制強化
などのメリットがありました。

則天武后
則天武后

反乱が起きない社会。
貴族勢力が弱体化し、中央集権を強化する。

則天武后の恐怖政治は、短期的に国家を安定させました。

人材採用の柔軟性の向上

従来の名門出身の人材採用ではなく、優秀で忠誠心の強い人材採用が可能に。

政治における人材採用の柔軟性が向上しました。

社会全体の信頼の失墜

一方で、人間関係の崩壊や冤罪の増加、自由な発言の抑制など。
密告制度によって、人々はお互いを疑うようになり、社会全体の信頼が失われていきました。

また、朝廷においても、
・優秀な人材が発言を控える
・密告されないように、無難に行動する官僚が増える
など、人材の質に悪影響を与えました。

まとめ:則天武后は恐怖政治を自ら始め、自ら終えた!

則天武后の恐怖政治は、密告制度とそれを実行する酷吏によって成り立っていました。
この体制は権力の安定と引き換えに、社会に緊張と不信をもたらしました。

恐怖に依存した統治は、最終的に内部から打ち破られることになります。
則天武后の恐怖政治は、権力維持のための手段とその限界を示す事例といえるのではないでしょうか。

中国史上唯一の女帝である則天武后(武則天)。
中国時代劇を見て、則天武后に興味をもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
則天武后について知りたい方は、氣賀澤保規著「則天武后」がおすすめ。

史実に基づいて、則天武后の生涯、それを取り巻くあらゆる側面を書いた学術本です。
則天武后の心理状態が適度に描写され、小説のようにスラスラ読めます。
ぜひ一度、「則天武后」を読んでみてください。

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