徳川家康が定めた武家諸法度の目的、内容、与えた影響

慶長8年(1603年)に征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた徳川家康。

この2年後の慶長10年(1605年)、三男・徳川秀忠に将軍職を譲りましたが、政治の実権は変わらず徳川家康が握り続けていました。
元和元年(1615年)に発布した武家諸法度も徳川家康が制定したものです。

徳川家康が定めた武家諸法度目的内容与えた影響を紹介します。

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徳川家康が定めた武家諸法度の目的

徳川家康が定めた武家諸法度は、
① 城を新たに築いてはいけない
② 幕府の許可なく結婚してはいけない
など、大名の行動を制限するものでした。

織田信長、豊臣秀吉と共に三英傑に数えられる徳川家康。

織田信長は家臣・明智光秀に本能寺の変で討たれました。

また、明智光秀を討った豊臣秀吉は天下を統一するも、一代で終わりを迎えました。

織田信長、豊臣秀吉と同じ道をたどりたくなかった徳川家康。
反乱を起こされないよう、武家諸法度によって大名を統制し、全国を強固に支配して、徳川家の江戸幕府を長期にわたって存続させようと考えました。

徳川家康が元気なうちに将軍職を徳川秀忠に譲ったのも、将軍職は徳川家が世襲していくことを印象づけたかったからです。

武家諸法度の内容

大阪夏の陣が終結してから2ヶ月が経った元和元年(1615年)7月。
徳川秀忠は全国の大名を伏見城に呼び出し、草案者・金地院崇伝に命じて、徳川家康が定めた武家諸法度全13ヶ条を読み上げさせました。
(元和元年に発布されたことから、武家諸法度は「元和令」とも呼ばれています。)

① 文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムヘキ事。
→ 学問と武道にひたすら励むこと
② 群飲佚游ヲ制スヘキ事。
→ 大勢で飲酒したり遊興したりしないこと
③ 法度ヲ背ク輩、国々ニ隠シ置クヘカラサル事。
→ 法令に違反したものを匿わないこと
④ 国々ノ大名、小名并ヒニ諸給人ハ、各々相抱ウルノ士卒、反逆ヲナシ殺害ノ告有ラバ、速ヤカニ追出スヘキ事。
→ 犯罪人は追放すること
⑤ 自今以後、国人ノ外、他国ノ者ヲ交置スヘカラサル事。
→ 他国の者を自国に居住させないこと
⑥ 諸国ノ居城、修補ヲナスト雖、必ス言上スヘシ。況ンヤ新儀ノ構営堅ク停止セシムル事。
→ 新たに築城しないこと。城を改修する場合には、幕府に申告すること
⑦ 隣国ノ於テ新儀ヲ企テ徒党ヲ結フ者之バ、早速ニ言上致スヘキ事。
→ 隣国に不審な者がいれば幕府に申告すること
⑧ 私ニ婚姻を締フヘカラサル事。
→ 結婚する場合には、幕府に申告すること
⑨ 諸大名参勤作法ノ事。
→ 幕府に参勤する場合には、規定以上の家臣を連れてこないこと
⑩ 衣装ノ品、混雑スヘカラサル事。
→ 身分にあった服装をすること
⑪ 雑人、恣ニ乗輿スヘカラサル事。
→ 身分の低い者は許可なく輿に乗らないこと
⑫ 諸国ノ諸侍、倹約ヲ用イラルヘキ事。
→ 武士は倹約した生活を送ること
⑬ 国主ハ政務ノ器用ヲ撰フヘキ事。
→ 能力のある者に政治を行わせること

特に注目したいのは、第6条と第8条。

第6条「新たに築城しないこと。城を改修する場合には、幕府に申告すること」を定めた理由は、大名の軍事力の向上を防ぐためです。
また、第8条「結婚する場合には、幕府に申告すること」を定めた理由は、大名同士を団結させないためです。

城を攻め落とすために築城したり、増築したりしてきた徳川家康。

時には、同盟を結ぶために、娘を嫁がせたこともありました。
自らの経験を武家諸法度に取り入れていることがよく分かりますね。

武家諸法度が与えた影響

武家諸法度により、全国の大名の裁量権が幕府に委ねられ、幕府と大名の主従関係がより明確になりました。
法令化したことで、私的に築いていた主従関係が公的なものへと変化したんです。

武家諸法度の他、
① 禁中並公家諸法度(天皇や公家の主体的な行動を制限する)
② 寺院諸法度(寺の建立や僧の昇進を制限する)
を制定しました。

徳川家康が武家諸法度を定めたことで、法治国家の基礎が出来上がりました。

徳川秀忠から徳川家光に、徳川家光から徳川家綱にと、将軍が代わる度に、武家諸法度は修正され、大名をより強く統制する内容へと変化していきます。
大名の自由と引き換えに、徳川家は江戸幕府を260年以上存続させることができたんですね。

まとめ:武家諸法度には徳川家康の経験が詰まっている!

徳川家康が定めた武家諸法度目的内容与えた影響を紹介しました。

徳川家康は反乱を起こされないよう、武家諸法度を制定して、大名を統制し支配しました。
そのため、武家諸法度の内容は、
① 大名の軍事力の向上
② 大名同士の団結
を防ぐことに重きを置いています。

武家諸法度により、私的だった主従関係が公的なものへと変化し、法治国家の基礎が完成しました。

将軍が代わる度に修正され、大名をより強く統制していくこととなる武家諸法度。
徳川家康の考えをベースに、将軍は時代に合わせて柔軟に対応したんですね。

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