戦国史最大のミステリーとも言われる本能寺の変。
何故、明智光秀は織田信長を討ったのでしょうか。
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討った理由と進軍ルートを紹介します。
本能寺の変とは
本能寺の変とは、天正10年(1582年)6月2日に、京都・本能寺にて織田家臣・明智光秀が織田信長を切腹に追い込んだ事件です。
織田信長を討った明智光秀は、その足で二条城に攻め入り、織田信長の長男・織田信忠をも討ちました。
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討った理由
残念ながら、明智光秀が織田信長を本能寺の変で討った理由は判っていません。
ただ、次の3つの説が有力です。
排除を恐れた
織田家臣の中でも、一位、二位を争う大名にまで上りつめた明智光秀。
でも、明智光秀は織田信長の怒りを買うことが多く、排除されることを恐れていました。
比叡山延暦寺の焼き討ちに反対した
元亀2年(1571年)9月、織田信長は比叡山延暦寺の焼き討ちを命じました。

織田信長が敵対していた越前国の朝倉義景を保護し、北近江の浅井長政と手を組んで、大きな敵対勢力となっていたためです。
延暦寺は延暦7年(788年)に創建された歴史ある寺。
明智光秀は「比叡山延暦寺を焼き討ちしては、世の中から非難されてしまいます」と言って、織田信長を止めようとしましたが、織田信長は明智光秀の言葉を聞かず、焼き討ちしてしまいました。
娘の義父・荒木村重が謀反を起こした
明智光秀の娘・明智倫子は織田家臣・荒木村重の長男・荒木村次に嫁いでいました。
天正6年(1578年)、荒木村重が謀反を起こすと、織田信長は荒木村重の一族を処刑しました。
恵林寺の焼き討ちに反対した
天正10年(1582年)に勃発した天目山の戦いで、織田信長は武田勝頼を自害に追い込むと、武田家の菩提寺・恵林寺に進軍。





恵林寺には武田信玄の位牌があり、また、第106代天皇・正親町天皇の尊敬する快川紹喜がいます。
明智光秀は恵林寺を焼き討ちしないよう進言しましたが、織田信長は恵林寺を焼き討ちしてしまいました。
豊臣秀吉に対抗意識があった
天正10年(1582年)5月15日、毛利征伐のために中国方面に進軍していた豊臣秀吉から、織田信長のもとに援軍要請が入りました。
明智光秀は豊臣秀吉より格下に扱われたことを許せませんでした。
織田信長を恨んでいた
織田家臣の中でも、異例の速さで出世を遂げた明智光秀。
でも、明智光秀は織田信長の側近だったからこそ、恨みを抱くことがありました。
丹波国を没収された
天正8年(1580年)、織田信長と石山本願寺の間で和睦が成立すると、明智光秀は丹波国を与えられましたが、天正10年(1582年)5月15日、毛利征伐を命じた織田信長は「丹波国の代わりに、出雲国と石見国を与える」と言いました。
明智光秀が出雲国、石見国を得るためには、毛利氏に勝利し、自らの手で出雲国、石見国を奪わなければいけません。
治水工事を行ったり、丹波亀山城や福知山城を築いたりして、丹波国を発展させてきたにも関わらず、明智光秀は丹波国を没収される形となりました。
接待役を外された
天正10年(1582年)5月15日、徳川家康が織田信長の居城・安土城を訪れ、明智光秀は接待役を務めていました。





前日まで休暇を取っていた明智光秀は宴会準備に大忙し。
当日は気温が高く、用意した食事が傷み、腐敗臭が漂っていました。
徳川家康の目の前で、明智光秀は織田信長から叱責され、接待役を外されて、面子を潰されてしまいました。
明智光秀の進軍ルート
豊臣秀吉の毛利征伐を補佐するよう命じられた明智光秀は出陣の準備に取り掛かりましたが、「織田信長が30人の兵と共に本能寺に泊まる」という知らせが飛び込みました。





いつも織田信長のそばにいる豊臣秀吉は中国地方にいて、織田信長と同盟を結んでいる徳川家康にはわずかな手勢しかいない。
明智光秀は「織田信長を討つなら、このチャンスを逃してはいけない」と思いました。
6月1日の午後4時頃、準備を整えた明智軍は丹波亀山城を出発。
明智光秀は篠八幡宮で織田信長を討つ決意を表明します。
明智光秀が最も信頼していた娘婿・明智秀満と二手に分かれ、明智秀満は唐櫃越のルートを、明智光秀は老ノ坂越のルートを進みました。


途中裏切る兵がいたら討つよう、明智光秀は明智秀満に命じましたが、誰一人裏切ることはありませんでした。
両軍は京都の桂川を渡ったところで、鉄砲の火縄に点火し、6月2日の午前4時頃に本能寺を包囲。
本能寺に火を放ち、織田信長を切腹に追い込みました。
まとめ
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討った理由と進軍ルートを紹介しました。
明智光秀が織田信長を討った理由は判っていませんが、排除を恐れていた、豊臣秀吉に対抗意識があった、織田信長を恨んでいたという3つの説が有力です。
明智光秀が出陣準備を手際良く整えていることから、前々から織田信長を討ちたいと思っていたのかもしれませんね。
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