ドラマや小説で度々登場する、お市の方が織田信長に小豆袋を送り、金ヶ崎の戦いにおける浅井長政の裏切りを知らせるシーン。
ところが、お市の方が織田信長に小豆袋を送っていないのではないかといわれています。
お市の方が織田信長に小豆袋を送ったのかどうか、また、小豆袋に込められた2つの意味を紹介します。
お市の方が織田信長に小豆袋を送ったって本当?
お市の方は織田信長に小豆袋を送っていないのではないか。
そのように考えられている理由は2つあります。
お市の方と浅井長政はおしどり夫婦だった
織田信長の妹・お市の方と北近江の浅井長政は、永禄10年(1567年)、もしくは、永禄11年(1568年)に結婚しました。
お市の方が浅井長政に嫁ぐこととなったのは、「近江国と美濃国を平定したい」という織田信長の思惑から。
つまり、お市の方と浅井長政は政略結婚だったんです。

でも、政略結婚であっても、二人の仲はとても良好。
浅井長政は前妻である六角家臣・平井定武の娘との間に、長男・万福丸(浅井輝政) 次男・万寿丸を授かっていましたが、お市の方との間には長女・茶々(淀殿)、次女・初(常高院)、三女・江(崇源院)を授かりました。
初が生まれたのは、永禄13年(1570年)。
江が生まれたのは、天正元年(1573年)。
二人が立て続けに子どもを授かっていることから、おしどり夫婦だったことがうかがえます。
お市の方が織田信長に浅井長政の裏切りを伝えたら、浅井長政の敗北する可能性が高まること、また、織田信長が浅井長政を討ちにやって来ることは予測できたはず。
お市の方が浅井長政をピンチに陥れるようなことをしたかどうかは謎ですね。
戦国時代において裏切りは日常茶飯事
「溪心院文」に37歳の実年齢よりも15歳は若く見える美しさだったと記されているお市の方。
「天下一の美女」と称されたお市の方は、実は男勝りで、「男に生まれていたら、立派な武将になっていただろう」と、その性格と才能を惜しまれるほどでした。
浅井長政に嫁ぐことが決まった時点で、いざという時には兄を裏切る覚悟ができていたと思います。
「朝倉家記」にしか記録がない
お市の方が小豆袋を織田信長に送り、浅井長政の裏切りを伝えたという記録は、「朝倉家記」にしかありません。
お市の方の行動が真実であれば、「朝倉家記」の他の資料にも記録があるはず。
そのため、お市の方は織田信長に小豆袋を送っておらず、歴史を楽しんできた後世の創作ではないかともいわれています。
小豆袋に込められた2つの意味とは?
戦国大名間で行われた政略結婚には、姻戚関係を築いて同盟を強化するという目的の他に、娘から嫁ぎ先の情報を得るという目的がありました。
そのため、お市の方は浅井長政の妻であると同時に、織田家から浅井家に送られたスパイでもありました。
お市の方が織田信長に小豆袋を送ったと仮定して、お市の方は小豆袋にどのような意味を込めたのでしょうか。
小豆坂の戦いを連想させたかった
小豆坂の戦いは天文11年(1542年)と天文17年(1548年)の2度にわたって行われました。
第一次小豆坂の戦いでは織田信秀が勝利したものの、第二次小豆坂の戦いでは織田軍が総崩れとなり、安祥城まで退却することとなりました。
袋のネズミを連想させたかった
小豆は織田信長の好物だったとも、苦手な食べ物だったともいわれています。
織田信長が小豆を好きだったか、嫌いだったかは分かりませんが、好き嫌いをつけられる特別な食べ物だったことに違いはありません。
袋に入った小豆を見た時、織田信長はメッセージが小豆に込められているのではないかと察することができました。
また、巾着袋の上一箇所結ぶだけでいいのに、お市の方はわざわざ上下二箇所を結び、小豆を両端から包みました。
お市の方は小豆を織田信長に例え、両端から小豆を閉じ込めることで、織田信長が浅井長政と朝倉義景に挟み撃ちにされることを表現していたんです。
お市の方は小豆袋を使って、袋の鼠を連想させようとしたんですね。
まとめ
お市の方が織田信長に小豆袋を送ったのかどうか、また、小豆袋に込められた2つの意味を紹介しました。
お市の方と浅井長政の夫婦仲が良かったこと、お市の方が男勝りだったこと、「朝倉家記」にしか記録がないことから、お市の方が小豆袋を送ったかどうかは定かではありません。
でも、もし、お市の方が織田信長に小豆袋を送っていたとしたら、お市の方は機転の利く女性だったんですね。
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