関ヶ原の戦いに参戦できなかったものの、前哨戦である伏見城の戦いを戦い抜き、徳川家康の勝利に大きく貢献した鳥居元忠。
鳥居忠吉の三男・鳥居元忠の生涯と伏見城で迎えた最期を紹介します。
鳥居忠吉の三男・鳥居元忠の生涯
鳥居元忠は62歳でこの世を去りますが、62年の生涯はどのようなものだったのでしょうか。
徳川家康の独立資金を貯める
鳥居元忠は天文8年(1539年)生まれで、鳥居忠吉の三男として誕生しました。

鳥居忠吉は徳川家康の祖父・松平清康、父・松平広忠、そして、徳川家康本人に仕えた忠臣。
鳥居元忠は生まれた時から徳川家康に仕える運命でした。
徳川家康が今川家で人質生活を送ることが決まると、酒井忠次や石川数正と共に、鳥居元忠は徳川家康に付き添いました。
一方、鳥居忠吉は今川氏の支配下にある岡崎城に滞在していました。
徳川家康が今川家に人質として出向いていなければ、岡崎城の本丸に住んでいたのは徳川家康です。
鳥居忠吉は徳川家康が岡崎城に戻る日を信じて、今川氏に見つからないようにへそくりを貯め、徳川家康の独立準備を整えていました。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康は今川義元の息子・今川氏真に許可を得ることなく岡崎城に戻りました。
この時、徳川家康は鳥居忠吉が帰りを待ってくれていたこと、独立の資金を貯めてくれていたことを知り、今川氏からの独立を宣言。
鳥居忠吉をはじめ、徳川家臣は徳川家康の決断に大喜びしました。
三男で家督を継ぐ
三方ヶ原の戦いが起きた元亀3年(1572年)、鳥居忠吉が亡くなると、兄・鳥居忠宗は天文16年(1547年)に既に亡くなっていた、また、次兄・本翁意伯は出家していたため、鳥居元忠が跡を継ぐこととなりました。
諏訪原城で足に重傷を負う
天正2年(1574年)の第一次高天神城の戦いでは武田勝頼に破れたものの、翌年、天正3年(1575年)の長篠の戦いで織田信長と共に武田勝頼に勝利した徳川家康。





流れに乗って、武田勝頼を討とうと、徳川家康は武田家の支配する諏訪原城を攻めます。
この時、敵陣に潜入していたところをみつかり、鳥居元忠は武田軍の攻撃を受けて足に重傷を負いましたが、徳川家康を恨むことなく、鳥居元忠は徳川家康に忠義を尽くしました。
伏見城で迎えた最期
慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が亡くなると、徳川家康は石田三成と対立。
会津の上杉景勝が上洛しないことを理由に、徳川家康は上杉景勝を討伐するべく会津へ向かうこととなりましたが、留守にしている間に、石田三成が伏見城を攻撃するだろうと予測していた徳川家康は、鳥居元忠をはじめ、松平近柾や松平家忠に伏見城の留守を任せました。





実は、徳川家康にとって、伏見城兵は有事の際の捨て石。
徳川家康が石田三成と戦う準備を整えるための時間稼ぎをする役割を担っていました。
上杉景勝討伐で多くの兵が必要だったため、伏見城に配備できる兵の数は1800人しかいませんでした。
会津に向かう前日、徳川家康は鳥居元忠を呼び出し、預けられる兵が少ないことを謝罪しました。
鳥居元忠は「天下を取るためには、多くの兵を率いて会津に向かうべき」、「万が一の事態が伏見城で起きたら、城を燃やして討死するしかない」と言って、会津に一人でも多く兵を連れていくように言いました。
慶長5年(1600年)7月、徳川家康と対立していた石田三成が伏見城に攻め入りました。
4万人の兵を1800人の兵で相手するなんて、誰がどう見ても負け戦です。
でも、伏見城の留守を任された62歳の鳥居元忠は、自分の役割を十分認識していました。
石田三成の使者が降伏するよう呼びかけると、鳥居元忠は使者を斬って、降伏しない姿勢を見せました。





鳥居元忠は1800人の兵と共に石田軍を足止めし、2週間弱もちこたえました。
伏見城を陥落させるのにこんなに時間がかかると思っていなかった石田三成は、甲賀忍者を伏見城に忍び込ませ、守備兵を籠絡。
鳥居元忠は石田軍に加わっていた雑賀衆・鈴木重朝と一騎討ちし亡くなりました。
すると、鳥居忠政は鈴木重朝の優しさに感謝し、「父を討った名誉と共に、代々お伝えいただきたい」と言って丁重に断りました。この6年後の慶長11年(1606年)、伊達政宗に仲介され、鈴木重朝は徳川家康に仕えることとなり、その後、徳川家康の十男・徳川頼房に仕えました。
鳥居元忠による時間稼ぎは、関ヶ原の戦いに西軍の一部が遅れて参戦することとなり、関ヶ原の戦いにおける徳川家康の勝利に大きく貢献しました。
まとめ
鳥居忠吉の三男・鳥居元忠の生涯と伏見城で迎えた最期を紹介しました。
諏訪原城の戦いで足を負傷し、伏見城の戦いで討死した鳥居元忠。
鳥居元忠の次男・鳥居忠政は、元和8年(1622年)に改易された最上氏に代わって山形藩24万石を獲得しました。
鳥居元忠の亡き後、鳥居忠政が重用されたのは、鳥居元忠の徳川家康に対する忠誠心の賜物だったのではないでしょうか。
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