【梁】わずか3ヶ月で侯景に帝位を奪われた蕭棟ってどんな人?

548年に梁で勃発した侯景の乱。
侯景が梁の初代皇帝・武帝(蕭衍)と第2代皇帝・簡文帝(蕭綱)を廃したことで、人生を狂わされたのが蕭です。

蕭棟とは、どのような人物なのでしょうか。

蕭棟の生涯を紹介します。

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即位するも3ヶ月で廃される

蕭棟は梁の初代皇帝・武帝(蕭衍)の第1皇子・蕭統の長男・蕭歓と王氏の間に長男として誕生しました。

おゆう
おゆう

つまり、蕭棟は武帝のひ孫にあたります。

蕭歓が亡くなると、蕭歓の爵位を継いで豫章王に封じられました。

548年、侯景がクーデターを起こし、翌年、549年には都・建康を陥落。
武帝が崩御し、武帝の第3皇子・蕭綱が梁の第2代皇帝・簡文帝として即位しました。

坊っちゃん
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簡文帝と侯景は同い年。

梁の実権を握りたかった侯景にとって、同い年の簡文帝を従わせるのは難しく、551年8月、侯景は簡文帝を廃しました。

侯景は自ら建国して、皇帝として即位するつもりでしたが、建国、即位の準備が整っていないと判断し、蕭棟を擁立することにしました。

侯景は蕭棟のもとに使者を送りました。

使者が到着した時、蕭棟は侍女と一緒にフユアオイの種を撒いていました。
使者から、侯景によって擁立されたこと、皇帝として即位しなければいけないことを聞いた蕭棟は驚きのあまり泣き出してしまいました。

蕭棟は梁の第3代皇帝として即位しました。

即位の儀式を行った際、強風が吹いて、蕭棟の使っていた衣笠が飛んでいきました。
縁起が悪いとして、儀式に参加していた臣下は蕭棟がすぐに廃されるだろうと予感しました。

臣下が予感したとおり、侯景は自ら建国、即位する準備を整えると、蕭棟は即位してわずか3ヶ月で廃されました。

幽閉されるも半年で救出される

10月、侯景は漢を建国し、皇帝として即位すると、蕭棟は淮陰王に封じられ、弟・蕭橋、蕭樛と共に幽閉されてしまいました。
崩御した武帝と同じように幽閉された蕭棟は、近い将来この世を去ることになると覚悟を決めました。

おゆう
おゆう

ところが、蕭棟のもとに吉報が届きます。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

552年3月、武帝の第7皇子であり、蕭棟の叔父にあたる蕭繹が侯景を討ったんです。

蕭棟達は救出されて、船で江陵に移動することになりました。

蕭繹に殺される

弟と共に救出され、九死に一生を得た蕭棟。

おゆう
おゆう

ところが、蕭繹は蕭棟の帝位簒奪を恐れ、蕭棟を殺すことにしました。

蕭繹は宣威将軍・朱買臣を遣わして、船の上で宴会を開かせました。
お酒を飲ませて、蕭棟達が油断したところで、朱買臣は船から抜け出し、蕭棟達の乗っている船を沈め、蕭棟は亡くなってしまいました。

まとめ

蕭棟の生涯を紹介しました。

梁の第2代皇帝・簡文帝(蕭綱)を廃した侯景によって、第3代皇帝として即位させられた蕭棟。
侯景に幽閉され、叔父・蕭繹に救出されるも、蕭繹に殺されてしまいました。

救出してくれた蕭繹に殺された蕭棟がどのような想いでこの世を去ったのかと考えると切なくなりますね。

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