【唐】楊国忠ってどんな人?安史の乱を引き起こしたといわれる理由は?

楊貴妃の又従兄で、唐の第9代皇帝・玄宗に重用された楊国忠。
楊国忠は安史の乱を引き起こした張本人ともいわれています。

楊国忠生涯、安史の乱引き起こしたといわれる理由を紹介します。

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楊国忠ってどんな人?

楊国忠は蒲州永楽県(山西省運城市)の出身。

本名は楊釗(しょう)といいます。

「国忠」とは、後に玄宗から与えられた名前です。

生まれ年は判っていませんが、710年代に生まれたのではないかと考えられています。

鮮于仲通から資金援助を受ける

お酒と賭け事が大好きで、楊氏一族から恥さらしとして嫌われていました。

30歳で、一念発起して蜀(四川省成都市)の軍隊に入りました。

手柄を立てて、警察を担当する県尉に任命されましたが、お酒と賭け事が大好きなことは変わらず、お金にいつも困っていました。

おゆう
おゆう

県尉の任期が満了し、楊国忠は地元に帰ることになりましたが、給与をお酒と賭け事につぎ込んでいたため、手元にお金がありません。

地元に帰る交通費すら持ち合わせていなかった楊国忠。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

こんな男性は嫌です。

坊っちゃん
坊っちゃん

でも、実は、楊国忠は有望株。

楊国忠は玄宗から寵愛を受けている楊貴妃の又従兄。

蜀の大金持ちである鮮于仲通は、楊国忠に資金を援助して、玄宗に取り入る機会をうかがいました。

章仇兼瓊から資金援助を受ける

745年、楊貴妃が貴妃に冊立されました。

楊国忠が楊貴妃の又従兄だと知った剣南節度使・章仇兼瓊は、楊国忠を紹介するよう鮮于仲通に頼みました。
楊国忠に会うなり、章仇兼瓊は資金援助を申し出、懐がほくほくになった楊国忠は、都・長安に向かいました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

どうして、地元に帰らなかったの?

おゆう
おゆう

楊国忠の行き先は、地元ではなく、長安に住む愛人・虢国夫人の家。

虢国夫人は夫を亡くして、未亡人となっていました。
楊国忠は虢国夫人の家に転がり込みました。

監察御史に任命される

章仇兼瓊と虢国夫人の推薦を受け、楊国忠は玄宗に謁見しました。

玄宗は楊国忠を気に入り、金吾兵曹参軍に任命しました。
楊国忠を推薦した章仇兼瓊は戸部尚書、御史大夫に昇進し、楊国忠を援助した鮮于仲通は剣南節度使に任命されました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

お酒と賭け事の大好きな楊国忠がちゃんと働くとは思えないんですけど?

賭け事に明け暮れ、お金に困っていた楊国忠は数字に強く、玄宗は「優秀な出納官になる」と言って、楊国忠を監察御史に任命しました。

李林甫と対立し勝つ

当時、朝廷で大きな権力を握っていたのは、宰相・李林甫です。

李林甫は皇太子・李亨(後の粛宗)や科挙出身の宰相・張説と対立していて、楊国忠は李林甫派となって、李亨の側近や科挙出身の宰相を排除しました。

李林甫を信頼していた玄宗は、李林甫の味方をする楊国忠をますます気に入りました。

おゆう
おゆう

度支員外郎をはじめ、楊国忠は15を超える役職を兼任。

楊国忠が要職に就くと、李林甫は楊国忠を警戒し始め、やがて、楊国忠と李林甫は対立するようになりました。

坊っちゃん
坊っちゃん

楊国忠と李林甫のどちらが、より有望かというと、楊貴妃の又従兄である楊国忠。

750年、李林甫の側近・吉温は裏切って、楊国忠派になりました。

失敗を揉み消す

751年、剣南節度使となった鮮于仲通が南詔に敗北しました。

このままでは、鮮于仲通を剣南節度使に推薦した楊国忠が責任を問われてしまいます。

そこで、楊国忠は責任追及から逃れるべく、敗北したことを玄宗に報告せずに、鮮于仲通に上奏させて、自ら剣南節度使を兼任しました。

おゆう
おゆう

自ら剣南節度使になれば、敗北した事実を揉み消せるからですね。

李林甫を排除する

752年、対立していた殿中監・王鉷を排除し、御史大夫に昇進しました。

御史大夫は監察機関である御史台の長官で、仕事内容は官吏の弾劾です。

早速、楊国忠は李林甫を弾劾して、李林甫の権力を弱めました。

やがて、李林甫は病死し、楊国忠は中書令、文部尚書になりました。

安史の乱を引き起こす

李林甫が亡くなり、追い込まれたのが安禄山です。

安禄山は李林甫の推薦を受けて、多くの節度使を兼任していました。

李林甫が亡くなっても、玄宗は安禄山を信頼していたため、安禄山を宰相に任命しようとしました。

おゆう
おゆう

すると、楊国忠は「学がない者は宰相に向いていない」と言って大反対。

玄宗は楊国忠の意見に賛同して、安禄山を宰相に任命するのを取りやめました。
また、玄宗が安禄山を気に入っていると知った楊国忠は、寝返って安禄山の側近となった吉温を流罪に処しました。

楊国忠が昇進を邪魔したこと、吉温を流罪に処したことを知った安禄山は、楊国忠を倒す目的で挙兵し、安史の乱が勃発しました。

陳玄礼に殺される

安禄山軍は勢いのとどまるところを知らず、長安へ進軍しました。

楊国忠は蜀へ逃げるように上奏し、玄宗やその側室達と一緒に逃亡しました。

おゆう
おゆう

この時、楊国忠は「安禄山は謀反を起こすと思っていた」と得意気に語りました。

馬嵬駅(陝西省咸陽市)に着くと、龍武大将軍・陳玄礼が楊国忠の暗殺を企てました。

陳玄礼は皇太子・李亨に許可を得ようと相談しましたが、李亨は反対しました。

すると、偶然、吐蕃の使者が近くを通りがかり、楊国忠に道を尋ねました。

これはチャンスだと思った陳玄礼は、「楊国忠が吐蕃人と謀反を企てている」と騒いで、混乱に乗じて、楊国忠を殺しました。

安史の乱を引き起こしたといわれる理由は?

紹介したように、安禄山が反乱を起こした目的は、楊国忠を倒すためです。

玄宗から信頼され、多くの役職を任されていた安禄山に、楊国忠は嫉妬しました。

安禄山を排除するべく、楊国忠は安禄山に反乱を起こさせて、反乱に乗じて、安禄山を殺そうと考えました。

楊国忠は玄宗に「安禄山には謀反心がある」と何度も上奏し、安禄山を挑発しましたが、楊国忠の罠だと分かっていた安禄山は玄宗に忠誠心を示しました。

玄宗は安禄山を変わらず信頼し続けましたが、諦めの悪い楊国忠は上奏し続けました。

身の危険を感じた安禄山は、楊国忠を倒すために挙兵するしかなかったんですね。

おゆう
おゆう

楊国忠が安禄山の謀反心をかき立てたというより、楊国忠の攻撃から身を護るために挙兵したというのが正しいのかもしれませんね。

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まとめ

楊国忠生涯、安史の乱引き起こしたといわれる理由を紹介しました。

お酒と賭け事が大好きな楊国忠は、楊氏一族から嫌われていました。
でも、楊貴妃の又従兄という立場を活かして、玄宗から気に入られました。
数字に強いデキる男でしたが、威厳はなかったそうです。

玄宗から気に入られていた安禄山に嫉妬した楊国忠は、安禄山に反乱を起こさせて、排除しようと機会をうかがっていました。
楊国忠に挑発された安禄山は楊国忠を倒す目的で挙兵しました。

朝廷で活躍した楊国忠も、最後は、唐軍の陳玄礼に殺されて人生を終えました。
楊国忠が生き続けていたら、安史の乱は終わらなかったかもしれませんね。

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