【唐】張柬之とクーデターを起こした桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己とは?

705年、神龍の政変という則天武后から中宗に政権を戻すクーデターが起きました。

クーデターの首謀者は宰相・張柬之ですが、協力者には桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己の4人がいました。
桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己はどんな人物なのでしょうか。

桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己の生涯を紹介します。

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桓彦範とは?

桓彦範は653年生まれで、潤州曲阿県(江蘇省丹陽市)の出身。

父は弘文館学士を務めていた桓法嗣です。

狄仁傑に才能を認められて、監察御史に抜擢され、703年には御史中丞、704年には司刑少卿を務めました。

705年、張柬之と一緒にクーデターを成功させると、功績を称えられて、侍中に任命されました。

ところが、韋皇后と中宗の側近・武三思から疎まれ、実権を奪うために、扶陽郡王に封じられました。

706年には、二人の嘘の密告により、洛州(陝西省商洛市)刺史に、後に、濠州(安徽省滁州市)刺史に左遷され、最終的には貴州(広西チワン族自治区貴港市)に流罪となりました。

貴州への護送中、武三思が派遣した周利貞によって殺され、706年に54歳で亡くなりました。

782年、唐の第12代皇帝・徳宗が司徒を追贈しました。

敬暉とは?

敬暉は絳州太平県(山西省臨汾市)の出身。

父は宰相であり、澄城県令を務めていた敬山松です。

明経科に合格した後、衛州(河南省新郷市)刺史、泰州(江蘇省泰州市)刺史を歴任し、703年には中台右丞を務めました。

クーデターを成功させると、桓彦範に同じく、侍中に任命されましたが、韋皇后と武三思から疎まれ、平陽郡王に封じられました。

その後、二人の嘘の密告により、滑州(河南省安陽市)刺史、朗州(湖南省常徳市)刺史に左遷され、最終的には琼州(海南省海口市)に流罪となり、706年、周利貞によって殺されました。

782年、徳宗が太尉を追贈しました。

崔玄暐とは?

崔玄暐は639年生まれで、博陵安平(河北省衡水市)の出身。

父は宰相であり、胡蘇県令を務めていた崔慎です。

662年、明経科に合格した後、庫部員外郎や鳳閣舎人を歴任し、701年には天官侍郎に、703年には鳳閣侍郎に抜擢され宰相となりました。

クーデターを成功させると、中書令に任命されましたが、韋皇后と武三思から疎まれ、博陵郡王に封じられました。

その後、二人の嘘の密告により、検校益州長史、均州(湖北省丹江口市)刺史に左遷され、最終的には古州(貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州黎平県)に流罪となりましたが、古州に向かう道中、706年、69歳で病死しました。

782年、徳宗が太子太師を追贈しました。

袁恕己とは?

袁恕己は滄州東光県(河北省滄州市)の出身。

父は瀘州(四川省瀘州市)参軍を務めていた袁异弘です。

司刑少卿や相王府司馬を歴任し、クーデターを成功させると、崔玄暐に同じく、中書令に任命されましたが、韋皇后と武三思から疎まれ、南陽郡王に封じられました。

その後、二人の嘘の密告により、豫州(河南省駐馬店市)刺史、郢州(湖北省荊門市)刺史、竇州(広東省信宜市)司馬に左遷されました。

最終的には、環州(広西チワン族自治区河池市)に流罪となりましたが、706年、周利貞によって殺されました。

782年、徳宗が太子太傅を追贈しました。

周利貞は崔湜の伯父です。

崔湜は中宗の第8皇女・安楽公主と付き合ったり、また、則天武后の秘書であり、中宗の側室でもあった上官婉児と付き合ったりし、安楽公主と上官婉児、そして、武三思に取り入って、中書舎人や兵部侍郎に昇進しました。
周利貞は桓彦範、敬暉、袁恕己を殺した後、武三思の取り計らいで御史中丞に昇進しました。

その後、崔湜から対立していた劉幽求を殺すように依頼されましたが、桂州都督・王晙保が劉幽求を保護したため失敗。

713年に、玄宗が太平公主や太平公主派である崔湜を殺すと、周利貞は邕州(広西チワン族自治区南寧市)長史に左遷となり、719年に邕州で亡くなりました。

まとめ

桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己の生涯を紹介しました。

桓彦範、敬暉、崔玄暐、袁恕己は、宰相・張柬之と一緒に、則天武后から中宗に政権を戻すクーデターを起こしました。
ところが、クーデターのおかげで中宗に政権が戻ったにもかかわらず、中宗は4人を朝廷から追放し、病死した崔玄暐以外は皆、中宗の側近・武三思によって殺されました。

死後76年が経過して、徳宗は4人に位を追贈し、4人の名誉を回復しました。

4人の功績が李氏宗室にどれだけ高く評価されていたかが伝わりますね。

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