【唐】則天武后(武則天)の人心掌握とは?手法は登用、粛清、心理戦

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男尊女卑の時代に、中国史上唯一の女帝として国のトップに立った則天武后。
権力闘争に勝ち、武周王朝を建てましたが、そのカギとなったのが「人心掌握」です。

則天武后武則天)の人心掌握について、登用粛清心理戦の3つの視点から紹介します。

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則天武后の人心掌握とは?

則天武后の宮廷生活は、唐の第2代皇帝・太宗(李世民)の側室からスタートしました。

一介の側室から、国のトップにのぼりつめた則天武后。
則天武后が最初から注力していたのが人を見極めることです。

則天武后
則天武后

誰を味方につけて、誰を排除するか。

自分に忠実な人材を重用し、反対勢力には厳しい処置をとる「アメとムチ」を徹底しました。
また、「アメとムチ」の徹底によって、則天武后は恐怖による支配を可能にしました。

手法|登用

則天武后の人心掌握に欠かせない一つが「登用」、つまり、人材の起用です。

身分にとらわれない人材登用

当時は貴族社会の影響が強く、高い地位は名門出身者に限られていました。
つまり、どんなに能力があっても、名門出身でなければ、高官になれませんでした。

太宗の側室から、その息子である第3代皇帝・高宗(李治)の側室になった則天武后。

則天武后は家柄に関係なく、自分に忠実な人材を積極的に推薦しました。
推薦によって登用された人材は高宗に仕え、その後則天武后に仕えることになります。

女官
女官

高官の間で「努力すれば報われる」という期待が生まれる。
則天武后には「多くの高官がこぞって、自分に忠誠を誓う」というメリットがある。

高官の期待が則天武后のメリットにつながっていきました。

科挙の重視と人材発掘

隋王朝を建てた初代皇帝・文帝(楊堅)の治世で生まれた科挙。

ところが、紹介したように、唐王朝では貴族社会の影響がまだ残っていました。

そこで、則天武后は科挙を重視し、試験によって官僚を選抜する仕組みを強化します。
これにより、地方出身の人材や新興勢力も朝廷に携わる道が開かれました。

科挙を通じて登用された人材は、自分を見出してくれた則天武后に忠誠を誓います。
身分に関係なく登用された人材に同じく、則天武后の政権基盤を支えました。

側近政治による統治の安定

高宗の側室や正室との権力争いに勝ち、正室になった則天武后。
則天武后が正室になる、トップに立つことを反対する高官は少なくありませんでした。

則天武后は自分に忠誠を誓う人材を、側近として政治の中枢に配置します。
これにより、政策の実行力が高まり、反対勢力を抑えることができました。

側近は則天武后の意向を読み取り、スピーディーに対応し、統治の安定に貢献しました。

手法|粛清

則天武后は忠実で優秀な人材を登用し、政治の中枢に配置しました。
一方で、反対勢力に対しては徹底した「粛清」を行いました。

反対勢力の徹底排除

紹介したように、則天武后が正室になる、トップに立つことを反対する高官もいました。

則天武后は自分の地位を安定させるために、反対勢力を排除。
政敵や反対派の官僚を次々と処刑、左遷して、不安要素を取り除きます。

これにより、反対勢力は弱体化し、則天武后による中央集権体制が強化されました。

密告制度と恐怖政治

則天武后の統治を支えたのは高官だけではありません。
密告制度を採用して、人々がお互いに監視し合う状況を作りました。

誰でも匿名性を保ちながら告発でき、報酬や昇進を得られる密告制度。
これにより、反逆の芽はスピーディーにつみ取られ、未然に防げるようになります。

則天武后にとってはメリットのある制度でしたが、人々は疑心暗鬼の毎日を送りました。
人々の抱く恐怖感もまた、反乱を抑える効果をもっていました。

見せしめによる統制

密告された人物は厳しい拷問を受け、最終的には処刑されます。
則天武后は単なる処刑にとどめず、見せしめとして利用しました。

則天武后
則天武后

処刑の方法や処罰の内容を広く知らしめることで、
「逆らえば、どうなるか。わかっただろう!」
と、人々に強く印象づけました。

手法|心理戦

中国史において、宗教と政治は切っても切れない関係。
皇帝は「天命」を受けた唯一の存在とされ、仏教を正統性や権威づけに利用してきました。

則天武后はその一歩先を進んで、自らを弥勒菩薩と結びつけます。
仏教経典や予言を使って、「私の統治は、仏の意思に基づくものである」と伝えました。

仏教を信じる人々から支持を得ると同時に、反対勢力に対して心理的な圧力をかけました。

まとめ:則天武后は人心掌握の天才!

則天武后は登用、粛清、心理戦の3つを用いて、人々の心をつかみました。

忠実で優秀な人材を登用して支持を集める一方で、反対勢力を徹底的に排除。
反逆の芽をつみ取る粛清で、人々の生活を支配しました。

自らと弥勒菩薩を結びつけた則天武后の統治は決して穏やかなものではありません。
ただ、良くも悪くも合理的で、統治を安定させるのに効果的でした。

女官
女官

則天武后が国のトップに立つことができたのは、このような人心掌握術があったから。
粛清やマインドコントロールは真似するべきではありません。

ただ、則天武后の登用は現代の課題である人材の確保に活かせるのではないでしょうか。

中国史上唯一の女帝である則天武后(武則天)。
中国時代劇を見て、則天武后に興味をもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
則天武后について知りたい方は、氣賀澤保規著「則天武后」がおすすめ。

史実に基づいて、則天武后の生涯、それを取り巻くあらゆる側面を書いた学術本です。
則天武后の心理状態が適度に描写され、小説のようにスラスラ読めます。
ぜひ一度、「則天武后」を読んでみてください。

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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