【唐】玄宗(李隆基)が武氏一族を排除した理由と経過、与えた影響

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唐王朝の中興の祖として知られる第9代皇帝・玄宗(李隆基)。

ただ、玄宗の治世が最初から安定していたわけではありません。
むしろ、宮廷内の激しい権力闘争から始まりました。

権力闘争の火種となっていたのが、則天武后の死後も影響力を残していた武氏一族。
玄宗(李隆基)は則天武后と血のつながった孫ですが、なぜ武氏一族を排除したのでしょうか。

玄宗李隆基)が武氏一族を排除した理由経過
② 武氏一族の排除が与えた影響
をわかりやすく紹介します。

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玄宗(李隆基)が武氏一族を排除した理由と経過

紹介したように、玄宗は則天武后の孫にあたります。
つまり、玄宗は李氏一族であり、武氏一族でもあります。

玄宗は武氏一族をどのような理由で、どのように排除したのでしょうか。

玄宗(李隆基)が武氏一族を排除した理由

神龍元年(705年)、則天武后は退位します。

・中宗(李顕)が復位する
・国号が唐に戻る
などして、唐王朝は李氏の手に戻りました。

ただ、宮廷内から武氏一族の影響力が完全に消えたわけではありません。

則天武后
則天武后

というのも、中宗の母である則天武后は皇太后。
また、他の武氏一族も李氏宗室と姻戚関係にあります。

そのため、
① 則天武后の娘・太平公主
② 中宗の娘・安楽公主の夫であり、則天武后の甥でもある武三思
を排除することができませんでした。

武三思もまた、則天武后と同じように武周王朝を建国するのではないか。

李氏皇族は武三思、韋皇后・安楽公主親子を危険視していました。

玄宗(李隆基)が武氏一族を排除した経過

則天武后が亡くなっても、太平公主と武三思の権力は衰えませんでした。
玄宗はどのようにして武氏を排除したのでしょうか。

韋皇后による宮廷の混乱

神龍3年(707年)に起きたクーデターで、武三思は亡くなりました。

すると、景龍4年(710年)、韋皇后は夫・中宗を毒殺。
則天武后のように政権を握りたかった韋皇后は、15歳の殤帝(李重茂)を擁立します。

殤帝は韋皇后の傀儡で、宮廷は混乱しました。

韋皇后・安楽公主親子の排除

韋皇后・安楽公主親子の好きにはさせない。

そう決意したのが、中宗の甥・李隆基。
後の第9代皇帝・玄宗です。

亡くなった中宗には、正室との間に跡継ぎとなる皇子がいません。
中宗の亡くなった今、皇帝となって唐王朝を動かすのは李隆基の父・睿宗(李旦)です。

李隆基は太平公主と協力して、2人を倒そうと決意。
綿密に計画を練って実行したクーデターにより、韋皇后・安楽公主親子は亡くなります。

武三思、韋皇后・安楽公主親子がいなくなり、李氏政権がようやく安定しました。

最後の敵・太平公主の排除

クーデターを起こし、韋皇后・安楽公主親子を排除した李隆基と太平公主。
功績を称えられた太平公主は勢いづき、2人の間で主導権争いが起こります。

先天元年(712年)、李隆基は第9代皇帝・玄宗として即位。
危機感を抱いた太平公主は玄宗を廃そうとクーデターを起こそうとしました。

女官
女官

ところが、クーデターを起こす前に、玄宗にバレてしまいます。

先天2年(713年)、玄宗は自ら兵を率いて、太平公主を拘束。
太平公主に自死するように命じました。

太平公主の死をもって、武氏一族のほとんどが排除されました。

武氏一族の排除が与えた影響

太平公主の死をもって、武氏一族のほとんどが排除されました。
武氏一族の排除が与えた影響は2つあります。

政権の一本化と安定

則天武后が武周王朝を建てたことで、武氏と李氏の2つの政権が存在していましたが…
先天2年(713年)に李隆基が太平公主を排除し、政権は李氏に一本化されました。

これにより、唐王朝はようやく安定します。

外戚に権力を集中させない政治改革

武氏一族の台頭から、玄宗は「外戚に権力を集中させるのは危険だ」と学びました。

そこで、玄宗は特定の一族が権力を独占しないように人事を行いました。
また、優秀な官僚を登用し、政治改革を進めます。

その結果誕生したのが「開元の治」と呼ばれる唐王朝で最も栄えた治世でした。

王皇后の死後、玄宗は楊貴妃を後宮に迎えます。

特定の一族が権力を独占しないように気を付けていたにも関わらず、玄宗は楊氏一族を人事に抜擢。
武氏一族の排除に成功した玄宗は自ら、権力闘争の火種を作ってしまいました。

楊氏一族を中心とする権力争いはやがて、8年間にも及ぶ安史の乱を引き起こします。

まとめ:玄宗は外戚に権力を与えず、開元の治を生んだ!

李氏政権の回復と安定のために、武氏一族を排除した玄宗。
特定の一族に権力を集中させないよう、優秀な人材を登用した玄宗は「開元の治」を築きます。

ところが、楊貴妃に対するいき過ぎた寵愛によって、楊氏一族を次々と人事に抜擢。
外戚政治、権力闘争が再び始まり、唐王朝衰退の原因となる安史の乱を引き起こしました。
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