徳川将軍家が16回にわたって行った日光社参。
日光社参の始まりと目的、費用をわかりやすく簡単に紹介します。
日光社参とは?
日光社参とは、漢字のとおり、日光東照宮に参拝することを指します。
日光東照宮は栃木県日光市にある神社で、江戸幕府初代将軍・徳川家康を主祭神としています。
もちろん、私達が日光東照宮に参拝することも「日光社参」にあたります。
ただ、こちらの記事では、江戸時代に徳川将軍家が行った日光社参を紹介します。
日光社参はいつ誰が始めた?
日光社参を最初に行ったのは、徳川家康の三男、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠です。
元和3年(1617年)3月に日光東照宮が竣工すると、翌月4月には、日光社参を果たします。
更に翌々年の元和5年(1619年)10月、元和8年(1622年)4月と社参。
元和9年(1623年)6月、次男・徳川家光に将軍職を譲り、大御所となります。
それでも、寛永5年(1628年)4月にも最後の社参をしました。
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この時には、既に49歳だった徳川秀忠。
翌年には病を患い、寛永9年(1632年)3月には、54歳で亡くなっています。
このように考えると、徳川秀忠は蝕まれた身体で社参していたのかもしれませんね。
日光社参の目的
日光社参の目的は2つあります。
江戸幕府初代将軍・徳川家康に敬意を示すため
織田信長や豊臣秀吉に従いながら、チャンスをうかがっていた徳川家康。
徳川家康が幕府を開いていなければ、徳川将軍家は存在しません。
先祖に敬意を示すことで、感謝の意を表しました。
徳川家の権威を広く知らしめるため
後ほど詳しく紹介しますが、日光社参には、大名や旗本、そして、莫大な数の人馬が同行しました。
例えば、安永5年(1776年)に江戸幕府第10代将軍・徳川家治が日光社参を行った時。
行列の先頭は日光、最後尾は江戸にあったといわれています。
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日光東照宮と江戸の距離は160キロメートル。
将軍、大名や旗本、人馬がズラリと列をなし、同じ方角に向かって歩いていると、迫力がありますよね。
日光社参は徳川将軍家の権力がいかに大きなものかを示す手段でもありました。
日光社参の費用
徳川将軍家が行ってきた日光社参。
でも、15人の将軍全員が行ったわけではありません。
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☑ 第2代将軍・徳川秀忠
☑ 第3代将軍・徳川家光
☑ 第4代将軍・徳川家綱
☑ 第8代将軍・徳川吉宗
☑ 第10代将軍・徳川家治
☑ 第12代将軍・徳川家吉
の6人が合計19回の日光社参を行っています。
19回の日光社参のルート、同行者数から費用をみていきましょう。
ルート
19回行われた日光社参のうち、16回は4月に行われています。
それは、徳川家康の命日・4月17日に合わせて参拝したためです。
4月17日には日光東照宮に必ず到着するように、次のような行程が組まれました。
1日目
江戸城を出発。日光御成道を北に進んで岩槻城(さいたま市岩槻区)に宿泊。
2日目
幸手宿の近くで日光街道に入り、古河城(茨城県古河市)に宿泊。
3日目・4日目
宇都宮城(栃木県宇都宮市)に宿泊し、翌日の4日目に日光に到着。
日光には当然宿泊し、復路は往路と同じ道を帰っていく8泊9日の行程でした。
人数
質素倹約で有名な徳川吉宗は、享保13年(1728年)に日光社参を行いました。
前年の享保12年(1727年)の夏から、準備を始めていたといわれています。
徳川吉宗の日光社参では、
・譜代大名と旗本13万3000人
・荷物を運ぶ人足22万8000人
の合計36万人と馬32万6000頭が同行しました。
また、紹介したように、徳川家治が行った日光社参では、
・行列の先頭が日光
・最後尾が江戸
にあったといわれています。
日光社参のルートに住む人々は、参拝者に料理を振る舞わなければいけませんでした。
また、江戸時代は大きな戦のない太平の世。
鍛え抜かれた馬をもたない幕府のために、近隣の農村は馬を提供しなければいけませんでした。
日光社参の時期は、農業における繁忙期と重なることが多く、馬を取られた農民は苦労しました。
更に、日光社参に支障が出ないよう、総出で街道の整備を行ったため、農村では大きな負担をしいられました。
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例えば、将軍が道中利根川を渡る場合。
将軍を渡し船に乗せるわけにはいかないため、臨時で橋を設置します。
橋といっても、簡素な橋では将軍が怪我してしまうかもしれません。
そこで、高瀬舟を並べて網で繋ぎ、その上に板を敷いた舟橋を造ったといわれています。
まとめ:日光社参は徳川将軍家の墓参り!
日光社参の始まりと目的、費用をわかりやすく簡単に紹介しました。
江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠が初めて行った日光社参。
民に大きな負担をかけながらも、16回にわたって行われました。
160キロメートルの行列は徳川将軍家の権威を示すのに十分だったのではないでしょうか。
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