三方ヶ原の戦いに負けた徳川家康ゆかりの浜松の地名・小豆餅、銭取と名字・小粥

元亀3年(1573年)に、徳川家康と武田信玄間で勃発した三方ヶ原の戦い。

三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗した徳川家康は浜松城に逃げ帰ります。
その道中空腹になり、さまざまな人にお世話になったエピソードが残っています。

空腹になった徳川家康が生んだ地名・小豆餅銭取、名字・小粥を紹介します。

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徳川家康ゆかりの浜松の地名・小豆餅、銭取

浜松城へ逃げ帰る道中、お腹が空いた徳川家康。
空腹のあまり歩けなくなった徳川家康は、すぐ近くに茶店をみつけました。

茶店で小豆餅を注文し、店員のおばあさんから小豆餅を受け取ったその時、足音が近づいてきました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

武田軍が徳川家康を追いかけてきたんです。

驚いた徳川家康はおばあさんに代金を支払わずに、小豆餅を片手に、馬に乗りました。

坊っちゃん
坊っちゃん

武田軍をまくことができたかと、徳川家康は後ろを振り返りました。
すると、茶店のおばあさんが「お金を払え!」と叫んで走って来るではありませんか!

やっとの思いで徳川家康に追いついたおばあさんは、小豆餅の代金を受け取り茶店に戻っていきました。

このエピソードから、
・茶店のあった地は小豆餅
・おばあさんが徳川家康から代金を回収した地は銭取
と名付けられました。

小豆餅と銭取の距離は2キロメートル。
馬を2キロメートルも追いかけたおばあさんの脚力にビックリしますね。

現在地名として残っているのは小豆餅だけ。
銭取はバス停の名前として残っているだけです。

おゆう
おゆう

地名、バス停の名前として残っていると紹介しましたが、実は「小豆餅」、「銭取」という浜松銘菓や手ぬぐいもあります。

このエピソードが浜松市民にいかに親しまれているかが伝わりますね。

・三方ヶ原の戦いで亡くなった兵を慰めるために、小豆餅をお供えした
・山賊がよく出る地域だった
から、小豆餅、銭取と地名を名付けたという説もあります。

徳川家康ゆかりの名字・小粥

浜松城へ逃げ帰る道中、お腹が空いた徳川家康はある農家に駆け込みました。

「まさか、お殿様がやってくるなんて!」と老夫婦はビックリ。
驚いている老夫婦に、徳川家康は用件を告げます。

坊っちゃん
坊っちゃん

「お腹が空いているから、何か食べさせてくれ」

老夫婦は「お殿様にあげられるようなものはありません」と答えました。
でも、どこからともなくいい香りがします。

徳川家康が老夫婦に何をつくっているのかと尋ねると、老夫婦はお米を煮ただけの粗末なお粥だと答えました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

お腹の空いている徳川家康にとって、どんな粗末な食事でも今はご馳走。

徳川家康は「お粥でもいいから食べたい」と言って、老夫婦がつくったお粥を食べました。
徳川家康は一杯食べ終えるなり、おかわりを要求。

満足した徳川家康はいつか恩返しをすると約束して、老夫婦のもとを去っていきました。

後に江戸幕府を開いた徳川家康は、老夫婦に小粥という姓を贈りました。
その後、老夫婦は庄屋を務め繁栄しました。

小粥の家紋は丸に二引。
お茶碗の上に箸を置いた絵が由来となっています。

まとめ:腹が減っては浜松城に帰られぬ!

空腹になった徳川家康が生んだ地名・小豆餅銭取、名字・小粥を紹介しました。

農家の老夫婦が徳川家康にお粥を食べさせたという話は信じられます。
でも、茶店のおばあさんが馬に乗った徳川家康を2キロメートルも追いかけて、小豆餅の代金を受け取ったという話は信じがたいかもしれません。

おゆう
おゆう

ただ、
子どもにも分かりやすいところ
・面白いところ
浜松市民に長く親しまれているポイントなのかなと思います。

「小豆餅」や「銭取」の浜松銘菓を食べて、敗走する徳川家康に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

大河ドラマ「どうする家康」をもっと楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。

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