
日本が開国するきっかけになった日米和親条約の締結から4年後の1858年(安政5年)。
初代アメリカ総領事・ハリスに迫られた日本は「日米修好通商条約」を締結しました。
日米修好通商条約の背景と経緯、内容と与えた影響をわかりやすく紹介します。
ハリスが迫った!日米修好通商条約の背景
1856年(安政3年)、初代アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが来航。
ハリスの来航の目的は通商(貿易)条約の締結でした。
佐倉城址公園の二の丸入口付近に建つハリス像。
日米修好通商条約締結150周年を記念して建立された。
産業革命によって、大量生産が可能になったイギリス、フランス、アメリカ。
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産業革命の起きた欧米の資本主義国が求めたのは、
① 製品を売るための市場
② 工場を動かすための原料供給地
で、そのターゲットになったのが日本を含むアジア地域でした。
開国こそしたものの、貿易を拒み続けていた幕府はハリスの駐在を拒みます。
やがて、ハリスの強硬な姿勢に押され、下田の玉泉寺に滞在することを許可しました。
日米修好通商条約締結の経緯
総領事着任から約1年3ヶ月後の1857年(安政4年)。
ハリスは江戸城で第13代将軍・徳川家定に謁見し、アメリカ大統領からの親書を手渡しました。
イギリスとフランスの脅威を利用
ハリスは国際情勢を説明し、日本が西洋列強の脅威にさらされていると強調しました。
当時アジアで猛威を振るっていたのは、イギリスとフランス(英仏連合軍)です。
英仏連合軍がアロー戦争で清に勝利し、圧倒的に不利な条約を結ばせている最中でした。
そこで、ハリスはこの情勢を詳しく話し、次のように迫りました。
清との戦争が終われば、英仏連合軍はその大艦隊を率いて、必ず日本へやってくる。
2ヶ国とも無茶な武力行使をしないはずだ。
ハリスの言葉は幕府に恐怖と危機感を与えました。
老中首座・堀田正睦はハリスの提案を受け入れ、条約締結へと舵を切ることにしました。
朝廷(孝明天皇)の勅許拒否
幕府内部では、
① 開国派(容認派):条約を結んで貿易をおこない、富国強兵を図るべきだという考え
② 攘夷派(排外派):日本に外国人を立ち入らせず、異国船を打ち払うべきだという考え
の2つの意見が出ていました。
開国派の堀田正睦は国内の攘夷派を抑え込もうとします。
そこで、条約締結に正当性をもたせるため、孝明天皇から勅許を得ることにしました。
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これは今まで幕府の決定に口を出さなかった朝廷を頼るという異例の行動です。
ただ、孝明天皇が条約の調印を断固として拒否し、堀田正睦の計画は大きく狂いました。
大老・井伊直弼の調印
異見が真っ二つに分かれて混乱する中、大老に就任したのが彦根藩主・井伊直弼。
彦根城隣の金亀児童公園にある井伊直弼像。
最後の官職・正四位上左近衛中将の正装である。
ハリスから強く迫られ続けた井伊直弼はついに覚悟を決めます。
1858年6月19日(安政5年7月29日)。
朝廷の勅許を得ないまま、日米修好通商条約への調印に踏み切りました。
日米修好通商条約の内容
日米修好通商条約は、全14条と貿易章程から構成されています。
4年前に結んだ日米和親条約と同様、日本に不利な規定が含まれていました。
新たな港の開港と江戸・大坂の開市
日米和親条約で開港した①箱館に加えて。
②新潟、③神奈川(横浜)、④兵庫(神戸)、⑤長崎の新たな開港が定められました。

また、政治の中心地・江戸と経済の中心地・大坂を開市することも定められました。
開市とは、外国人が滞在して取引できる場所を指します。
つまり、日本全国の主要ルートが外国人商人へ開かれることになりました。
不平等規定①:領事裁判権(治外法権)の承認
条約の第6条に定められたのが領事裁判権(治外法権)です。
日本国内でアメリカ人が罪を犯した場合、アメリカの領事がアメリカの法律をもとに裁くという規定です。
外国人が日本国内で殺人、盗難、暴力などの犯罪を起こしても、日本の警察や奉行所は処罰できません。
アメリカがおこなう領事裁判では、自国民に甘い判決が出され、大きな問題になりました。
不平等規定②:関税自主権の欠如
貿易をおこなうときに、自国の産業を守り、税収を得るために重要なのが関税です。
輸入・輸出品にかける関税の税率は、一般的にその国が自由に決定します(関税自主権)。
ところが、「関税の税率は、日本とアメリカが話し合いで決める」と定められました。
日本が単独で自由に税率を変える権利(関税自主権)を奪われた結果。
欧米に有利な低い関税率を設定させられ、安価な外国製品が流れ込む原因になりました。
自由貿易の開始
今まで幕府が独占・管理していた貿易とは異なる、自由取引が始まりました。
アメリカと日米修好通商条約を結んだ後。
幕府はオランダ、ロシア、イギリス、フランスの4ヶ国とも同じ内容の条約を締結しました。
与えた影響
日米修好通商条約の締結は、日本の政治・経済・社会構造を根底から揺さぶり、大きな影響を与えました。
政治的影響:幕府権威の失墜と尊王攘夷運動の激化
日米修好通商条約の締結による最大の影響は、幕府の権威が完全に失墜したことです。
孝明天皇の勅許を得ずに不平等条約を結んだ井伊直弼は、全国から猛烈な批判を浴びます。
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天皇を敬い(尊王)、外国人を追い払う(攘夷)。
水戸藩、長州藩、薩摩藩などを中心に、尊王攘夷運動が広まりました。
井伊直弼は反対派(吉田松陰や橋本左内ら)を徹底的に弾圧(安政の大獄)。
ところが、水戸脱藩浪士によって、井伊直弼自身が江戸城門前で暗殺されました(桜田門外の変)。
政権の最高責任者が暗殺されたことで幕府の弱体化は決定的に。
日本の政治の主導権は幕府から薩摩・長州などの雄藩と朝廷に移っていきます。
経済的影響:激しい物価高(インフレ)と金の流出
幕府の介入しない自由貿易が始まったことで、日本の経済は大混乱に陥りました。
金の大量流出
当時、日本と海外では「金と銀の交換比率」に大きな格差がありました。
・日本国内:金1 に対し 銀 5
・海外相場:金1 に対し 銀 15
という交換比率の差に、外国の商人は目をつけます。
金を海外に持ち出すだけで、金が3倍に増える仕組みができてしまいました。
莫大な量の金(小判)が日本から国外へ流出しました。
この経済的問題を解決するべく、幕府は貨幣の質を落とした「万延小判」を発行。
金の海外流出を止めようとしましたが、極端な貨幣価値の下落を招いてしまいました。
生糸・茶の品不足と物価の高騰(激しいインフレ)
日本の主要輸出製品である生糸や茶は、海外で大量に買われました。
そのため、国内で生糸と茶は品不足になりました。
貨幣改鋳の影響も重なり、生活必需品の価格が数倍に跳ね上がる激しいインフレが発生。
庶民は「外国と条約を結んだ幕府」に原因があるとし、攘夷感情がさらに強まりました。
まとめ:日米修好通商条約は日本に激動の近代をもたらした!
アメリカの初代総領事・ハリスが迫った日米修好通商条約。
日米修好通商条約は単なる貿易の始まりにとどまりませんでした。
ハリスの「脅威」に揺さぶられた幕府は、天皇の勅許を得ないまま不平等条約の締結に踏み切りました。
その結果、国内の政治的な対立や激しいインフレ、莫大な金の流出といった混乱を招きました。
日米修好通商条約は日米和親条約に続く、日本が近代化に踏み切るターニングポイントでした。
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